織田信長公が馬ごと落ちた池?
越知山(おちさん)の山頂近くにある池で、越知神社奥之院の構成要素となっているようである。
アクセス路は1.5車線の舗装林道で山頂近くまで行ける。
初訪の2015年1月は途中で雪のために進めなくなった。轍はまだ先まで続いていたので心残りではあったがスタッドレス四駆とはいえ軽バン&雪道初心者なので撤退。
アクセス路入口にあった案内板では信長公が落ちたとの伝説が記されていた。
そういえば山の名前は越知山(おちさん)だけに「越知」は「落ち」で、殿が落ちた山の池とも読める。
信長公の池伝説
現地案内板による池伝説
以下、案内板より抜粋。
殿池
名称の由来は、織田信長公の乗馬がこの池に落ちた事からこの名がついたと云われています。別名「雨乞いの池」とも云われ、干ばつのときには信長公の馬の鞍を引き上げ、池の畔のボタン桜の大枝にかけて祈祷すると、必ず雨が降ったそうです。
殿池の別の池伝説
信長公が落ちたという池伝説とは別に以下のような伝説も。「織田文化歴史館デジタル博物館」より抜粋。気になるのは、火口湖と記述されている点。
小川から山に入る林道を200m程登ったところに「馬どめ」という所があります。そこは、大昔、日野山と越知山(おちさん)とが背くらべをし、どちらが高いかあらそった時、どうも越知山の方が、馬のひずめだけ低いことがわかりました。
或る時、えらいおさむらいさんが越知山に登ろうとしたところ、この馬どめのところまで来たところ、どうしても馬が進まず、仕方なしにおりて、馬のひずめとくらを山の頂上に向って投げました。ひずめは一番高いところに落ちて、その分だけ山が高くなり、村の人はやっとこれで日野山と同じ高さになったと喜んだと言うことです。でも本当は日野山の方が大ぶん高いのですが、昔の人は山の高さをはかることができず目ではかったので、こんな話が生まれたのでしょう。
それから、馬のくらは低いところにおちて、その時以来、その場所に水がでるようになり池になったと言われます。きっと今のこっている殿池(とのいけ)、火山口のことを言っているのでしょう。
信長公が関わった池
最初の蛇池の伝説は信長公の徹底的で強引な性格を表しているが、ほかの池たちもこうして並べてみると信長公に滅ぼされたり殺されたりといった血腥い池ばかり。
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アクセス路
右はアクセス路入口。