日本二位の広さの天然湖沼「西浦」を含む湖沼複合体
「霞ヶ浦」と一般的に呼ばれている湖沼はじつは「西浦」という名で、正確には西浦、北浦、与田浦、外浪逆浦、常陸利根川を総称して「霞ヶ浦」という。
西浦単体でも琵琶湖に次いで日本二位の広さを持つ天然湖沼だが平均水深は4m、最大でも7mしかない。江戸時代以前は倍の大きさがあったが浅間山と富士山の噴火といった自然の力と、利根川東遷と干拓といった人為的な力で湖面積は大幅に縮小した。長く漁業、水運などで人の暮らしにも深く関わってきた。
霞ヶ浦の形態と景観
56本もの流入河川を持つ海跡湖
複雑な形状は、過去数万年の海進と海退のくり返しによる溺れ谷の発達と陸封による海跡湖化に成因。
有史以来は広大な入り江と潟が入り混じった低湿地の形態だったが、江戸時代以降の噴火による土砂堆積や人為的な土地改良によって現在の形態に近い状態になった。
西浦
平均水深4m、最大7mと浅い
厳密には湖というよりは沼というべきかもしれないほど浅いが、いかんせん広大。
湖岸は改修によってほぼすべて人工護岸
洪水対策のために数十年かけて完全人工護岸化を完了させたものの、環境配慮の視点から最近ではヨシ群落などの植生を再現した自然護岸への改造などが進められている。
北浦
霞ヶ浦では西浦に次いで大きい。樹枝状の湖岸を持つ。
鹿島神宮などをかたどった釜谷沖水質自動監視所や一の鳥居がシンボル。
北浦を横断する北浦大橋は湖上橋としては長さ日本二位。
霞ヶ浦の役割と設備
利水・水運の要
筑波山をくぐる農業用水パイプライン
西浦は筑波山の下を通るパイプラインを経て農業用水を供給。
北浦は工業用水と農業用水を供給。両者ともに特徴的なデザインの水質監視所が湖上に設けられている。
つくし湖は霞ヶ浦用水の中継地となっている農業用調整池。
西浦では平成8年からは貯水池機能も
飲料水、農業用水。
ユニークな姿で湖上に浮かぶ水位観測所
西浦と北浦の湖上にあり、それぞれユニークなデザイン。
霞ヶ浦用水取水口
浮島地区は干拓で農地に
霞ヶ浦の帆曳漁
対象魚はワカサギ・シラウオ
一人で漁ができるように折本良平(おりもとりょうへい)によって明治43年に考案されたのが帆引き船(ほびきせん)。
歩崎(あゆみざき)に帆引き網発明の碑がある。
帆引舟の原型は、サッパ舟、みよし舟
船体は杉材
腐りやすいところに銅板(アカ)を貼る
霞ヶ浦の資料館、施設、見どころ
かすみがうら市歴史博物館
筑波山地域ジオパーク案内板
帆引き船展示
展望台からの眺望と外観
ワニのオブジェ
資料館の駐車場に鎮座。なぜワニ? 北浦の流出河川が鰐川だから?
駐車場
ダイダラポッチのオブジェ
集落はずれの藪の中に突然現れてびっくりする。
霞ヶ浦の歴史
成因は海跡湖
江戸時代の干拓と噴火で縮小
江戸時代の富士山噴火と浅間山噴火による降灰などで湖の多くの部分が埋まった。これに加え、人為的な干拓などで湖面の半分ほどが陸地に。
霞ヶ浦と利根川が江戸時代に接続
江戸時代の工事によって利根川の流路が変わり霞ヶ浦と通水。
水上交通路として発展
太平洋→那珂湊→涸沼→北浦→霞ヶ浦→利根川→江戸のルートの開通をめざした。これが実現すれば危険な外海ルートをとらなくてよくなる。
運搬船としては高瀬舟が使われた。
河岸が発達し高瀬舟が行き交う
「エンマ」と呼ばれる水路をサッパ舟が行き交う
霞ヶ浦の未来
水質浄化のため、那珂川道水路、利根川導水路も計画中。
マップ
ニッポン湖沼図鑑マップ