その小さな池に、波乱万丈のドラマ。
庭池ほどの小さな池にこれほどのドラマが。浄ノ池の紆余曲折はすさまじい。
もともと寺社池だったが大津波で寺は移転。ひとり残された池のまわりに家が立ち、やがて住民憩いの町池に。
池には温泉水が入っていたため「異魚」「毒魚」と呼ばれた熱帯魚や海水魚が棲み、そのめずらしさから国の天然記念物指定を受け、一躍、絵葉書もできるスター池に。
しかし昭和時代の狩野川台風をきっかけに珍魚が消え、天然記念物の指定解除という辛酸もなめる。
その後、池は埋め立てられ消失湖となり、今は通りに池の名を残すのみ。
その池に棲むのは、「毒魚」
江戸時代末期には、浄ノ池に変わった魚がいると知られていたようだ。
当時の「異魚」「毒魚」という言葉に、その驚きがみてとれる。
異魚は、珍魚の意味もむろんあろうが、海外の魚(熱帯魚)という意味あいも強かったと思う。
生息魚は天然記念物指定の際に学術的な調査もなされており、五種の生息「異魚」が明らかになっている。魚種は下記の三種とイサキ類の二種。
【異魚其の一】蛇 鰻
じゃうなぎ。淫靡な響きが魅惑的なこの魚は熱帯性のオオウナギのことでニホンウナギとは別種。生息地は国内でしばしば天然記念物指定される。
細い水路でも入り込み、集落内の小さな井戸や寺社池などで1.5mもの巨体になるものもいて、メディアにとり上げられることもある。
ニホンウナギでも天然記念物指定されている生息池が福島県いわき市にある。この池も浄ノ池に負けず不思議な寺社池で、かなり気になる存在である。
bunbun.hatenablog.com
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【異魚其の二】毒 魚
どくぎょ。よくまあこんな名前を付けたものだ。
鮮やかな色をしたフエダイの仲間。他の魚を攻撃するので、浄ノ池ではときどき駆除も行なっていたらしいが、美味とのことなので駆除名目で食べていたのかも。
獰猛さや色の毒々しさで子どもたちにも人気の魚だったようだ。
立地と規模
海から250mほど、伊東の町を貫流する松川から300mほどの町ナカに立地。大津波があれば呑みこまれやすい低地で、細い水路で海と通水。
池の生成時期や成因は不明。
温泉がしみ出す天然の泉を、寺社池として改造したとも思われる。池は寺の名をとって「浄円寺の池」と呼ばれていたようだ。
町池時代に規模は縮小し、広めのリビングルームぐらいの大きさに。
関東大震災で被災するが、地域の復興尽力で規模が少し広げリニューアル。
池の構造
水源と水質
池底からの微温泉が水源で、山側からのおもだった流入河川はない。
後述するように350mほどの水路を経て海に通水。池の水位が一定ということから潮の満ち引きによる影響は受けていないと思われる。海水が混入していたかは分からないが、多少の塩分がなければ海水魚の生息に不適だろう。
海水魚と淡水魚が共存する池として現在も天然記念物となっている山口県萩市の明神池を初めて見たときは、鯉といっしょに泳ぐイシダイやフグの姿にぶっ飛んだものだが、じつは池底の岩盤のすきまから海と通水しているので、浄ノ池の不思議さに比べれば、かわいいものかもしれない。
水温と熱帯魚の越冬
温水の湧出によって冬でも26度が保たれていたことが確認されている。
流入河川がないため水温の低下は表層だけ。
温水の流入によってグッピーなどが越冬する事例は、北海道のオンネトー湯滝の池が有名。(現在は駆除のため冷水が導入されている)
神奈川県箱根にもグッピーが棲む池がある他、南足柄では工場からの温排水で越冬する事例があった。
しかしいずれも淡水魚であり、熱帯性の海水魚が生息していた点で浄ノ池は特異な存在だったといえる。
池の水源と流出路
吐き出し側は、唐人川という町中を屈曲して抜ける細い水路。池からおよそ350mで松川河口部、ほぼ海といっていい地点に通じている。
この水路は今も開渠として現存していた。
唐人川にも池があった時代は熱帯性の魚が見られたそうである。
浄ノ池。その波乱に満ちた池人生。
江戸時代の大津波で被災
元禄大地震(1703年)の大津波によって浄円寺は流され、200mほど東に移転する形で再建。池だけが取り残されるかっこうとなった。
その後、復興で池のまわりに家が立ち並び、生活の場に。このころ「浄ノ池」という愛称が広がる。
町ナカの天然記念物として、一大観光地に
天然記念物の制度が創設された大正時代に早くも指定を受ける。
指定名は「浄ノ池特有魚類生息地」。特有魚類生息地という言葉の独特なオーラ。
天然記念物指定の翌年、関東大震災で再び津波に
天然記念物に指定された喜びも束の間。
1923年の関東大震災で江戸時代以来、再び津波に襲われる。しかしこのときは地域の力で復興し、かえって規模を拡大。
温泉街の中という立地のよさもあり、浄ノ池には茶屋も立ち絵葉書ができるほどの観光池に。漂白の詩人、種田山頭火も訪れている。
狩野川台風。そして天然記念物指定解除
伊豆半島を襲った狩野川台風(狩野川は静岡県を流れる川の名)によって、浄ノ池は壊滅的に被災。魚の多くも流出した。
さらに何らかの原因で温泉の湧出が減少し、熱帯性の海水魚が生存できなくなる不運もかさなり、被災から20年ほど経って天然記念物指定が解除された。
国の天然記念物が指定解除となった事例としては、埼玉県浦和のさぎ山記念公園があるが、サギの営巣がゼロになったための指定解除で、浄ノ池のように池に直接関係したものではない。
今や通りに池の名を残すのみ
天然記念物の指定解除後、池は埋め立てられ、現在は病院の敷地になっている。病院の前に浄ノ池の存在を示す案内板が立っているが、かつて多くの文人や観光客を集めた痕跡はうかがえない。
「浄ノ池通り」と名付けられた市道の一角に、その名をとどめるのみである。
異魚はいかにして池に?
浄ノ池は海まで400mほど。過去二回の津波に呑み込まれているので、その際に海水魚が混入したという可能性も大きい池ならば考えられるのかもしれないが、継続的に海から進入するルートとして考えられるのが唐人川である。
唐人川では実際に異魚が泳いでいたという古い報告もあるので、二度目の訪問は唐人川を中心に異魚流入の可能性を見ていくことにした。
海から遡る視点で浄ノ池に迫っていこう。
伊東大川の河口
三浦按針にまつわる案内板、記念碑、オブジェが多く、散策道が整備されていた。
河口左岸側の国道沿いになぎさ公園の駐車場があり、唐人川をたどっていくならば有料ではあるが便利。
唐人川との合流部
地図で見るのと異なり、唐人川が伊東大川に合流するのは、国道の橋の下流側の砂浜区間だった。
海まで数十メートルという場所であり、満潮や大潮のときなど海水魚が遡上することはできそうだ。
国道を暗渠でくぐる
国道の下は暗渠となっている。
このへんの水の流れはゆるやかで、幼魚が遡上することはできそうだった。
唐人川通りをくぐる
海岸から暗渠を経た先は、コンクリート護岸の水路として町中へと分け入っていき、その名も唐人川通りという道の下をくぐる。
ややドブ臭い匂いはあるが、よどんだ感じではなく、せせらぐほどの水量はある。
直角に折れ、町深くへ
少し先で唐人川は直角に折れる。石垣護岸と分流との合流を経て、まっすぐ山側へ。このあたりは水路は二段式になっているので、ある程度の水量と深さは維持されている。
住宅街は暗渠がところどころに
住宅街に入ると、ところどころ暗渠と開渠が入り混じる。
生活感が濃厚。このあたりの住民は、昔、異魚を目にしたのだろうか。
民家の軒下を進む
生活道に沿っていた唐人川は、突如、方向を変えて民家の軒先が連なる中へ。ここでいったん川筋から離れざるを得なかった。
軒下から再び現れたが
立ち並ぶ家々を迂回して、再び、唐人川に合流。
かなり生活に密着した感じで微笑ましいのだが、魚が遡上するにはちょっと水深が浅すぎ?
浄ノ池の手前で急カーブ&分岐
唐人川は浄ノ池跡地である病院手前で急カーブし、二車線道路の下へ。ここからは開渠はなくなり、道路下や側溝となっていた。
そこにかすかな光が
水はきれいで臭いもないが、ぱっと見はドブのようになった唐人川。
今は海水魚が遡上することは難しいのかなと思っていたら、素早く動く黒い魚影。
この動きは!
新・浄ノ池を復活させる機運も?
伊東という温泉街にとって、珍魚の棲む町池はうってつけのスパイスだった。おまけに天然記念物というお墨付きも得て、絵葉書ができるほどの観光地になった浄ノ池。
現代でも浄ノ池があれば、パワースポット、インスタ映えの人気池としてじゅうぶん通用しただろう。
伊東の町では豊富な温泉水を使って熱帯性の魚が棲める浄ノ池のような池の新造も観光施策として検討されたこともあるというので、ぜひとも期待したい。