水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

伊東の化石湖(仮称)(静岡県伊東)

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一碧湖を追い出された赤牛が逃げのびた池はどこに?

池ヌシとしては大蛇の次に全国メジャーな牛(赤牛)であるが、伊豆半島では数少ない天然湖である一碧湖にも赤牛伝説がある。
池ヌシとなった牛が人間によって自分の池を追われ、別の池に逃げ込むというストーリー構造。これは拙著『日本全国 池さんぽ』で山梨県の椹池(さわらいけ)の項で採り上げたストーリー構造とまったく同じ。似た構造の赤牛伝説は福島県の半田沼にも見られる。
また、これも本で採り上げたが、池を追われた大蛇が牛に姿を変えて別の池に逃げこむという池伝説が新潟県に残されている。
一碧湖の赤牛もやはりいずれかの池に逃げ込んでいるのだが、池が極端に少ない伊豆半島において、その池がどこなのかは大いに気になるところである。
この謎について火山学者の小山真人氏の考察が刺激的だった。

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未知のロストレイク

その中で、伊東市街地に流れ込む小川沢(小沢川?)の上流部の山間に、旧石器時代の噴火で消失したロストレイク(化石湖)があると記されていて、心動かされた。
さっそく入念に地図とにらめっこ。調べたことを鳥瞰図に落とし込み現地に赴いた。
市街地から沢伝いに林道が太平の森までのびている。
ロストレイクがあったのは、その中間あたりの北側の山腹ということだったが、森が濃く行けども行けども眺望が開けない。

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アプローチ路はこんな感じ。近くに配水池らしき設備もあった(下)
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地形的ヒントを求めて

かつて湖があったのであれば、たとえロストレイクになった後でも水の流れまで消え去ることはないはず。
あるいは地形的ヒントになるような沢の支川でもないかと探しているうちに、それらしき川をまたぐ橋があった。たもとには砂防指定地の看板もあった。

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あれ? 川名が・・。

小山氏の資料地図では「小川沢」とされていた川が、砂防の看板では「寺田川」となっていた。
そして「小川沢」ならぬ「小沢川」なるものが尾根をはさんで平行して流れているようだ。

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空撮による地形把握

とはいっても小川氏が示すロストレイクの場所は、このあたりで間違ってはいなさそうだ。
川名はともかく地形把握を空撮で試みたいところだが、フライトできるポイントが少なく、場所を替えて二度のフライトを強行するもポケッタブルな機材では、なかなか確証的なアングルが得られず、今回はこれが限界。

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ロストレイクと思われる場所


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1kmほど下流側から
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下流側に、戦国時代の伝承に残るロストレイクも

小山氏は伝説上で赤牛が逃げ込んだ池については、上記の化石湖ではないと考えている。なんといっても旧石器時代には消失しているのだ。
氏が可能性のひとつとして提示したのは、下流側の岡村(現在の伊東市岡区)。
村からほど近い上流側に、東西110m、南北20mの細長い池があったとの戦国時代末期の資料が根拠だ。
現在のこの場所には、小川が砂防ダムによって堰かれ、ごく小さな池ができていた。ほかは山の斜面にはさまれて一軒の民家と猫額の畑。
伝承にある大きさの池があったとすれば、この畑の場所以外にはなさそうである。


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岡地区周辺の地形(写真中央右寄り)。奥は伊東市街


 

残る候補は?

岡地区にあったとされる池は東西110m、南北20m。
どんなイメージかというと、オリンピック公式の9レーンの50mプールを2レーンほど削って、二つ並べて100mプールにした感じ。
下の写真のあたりは、ぎりぎりそんな池が収まりそうな地形にも見えるが、あくまで現時点での話だ。土砂崩れひとつで地形は変わるので、あるいはもっと大きな池を収容する地形がこのあたりにあったかもしれない。

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岡地区。伝承に残る池があったとしたら、このあたりか?


また、ストーリーは異なるものの赤牛が登場する池が、一碧湖をはさんだちょうど反対側にもあった。大きさは一碧湖よりも大きい。
伊豆半島にそんな池はないでしょ、と思われた方は正しい。現在、池の姿はどこにもないが、地名だけは今でも「池地区」である。
ここにかつて豊かな湖面を広げていた「対馬(たじま)の大池」というロストレイクについては、また別稿で採り上げたい。

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Google マップ

マークした場所は化石湖があったと推定される沢の出口