まるいけさま。
SNS人気で、案内標識も増設。しかし肝心の「様」が・・。
SNSで人気沸騰した水辺の代表といえば、岐阜県の「モネの池」が挙げられるが、東日本ではここ丸池様がその代表格ではないだろうか。
養魚場の裏手にある小さな湧水の池が、とつじょパワースポットとして全国に知れ渡った。ただ、モネの池と違って丸池様のネーミングはSNSによって名付けられたものではなく、深く由緒あるもの。しかし、池の正規名称に「様」が付くミステリアスさが、かえってSNS的な興味をかき立てることにもなったのだろう。
2017年8月に初出してから一ヶ月足らずでの更新となった。前回の訪問は日没前ということと、初めてということもあってアプローチしただけで精一杯。じっくり撮影することができなかったので、今回は余裕をもって到着。
じつは水中に沈んだ倒木が竜のように見えるということが丸池様が神格化される重要な要素だったとあとで知り、今回はひたすら水中の竜様をしっかり捉えることに時間をかけた。
驚いたのは、タブレットやスマホを片手にした女性グループの多さ。彼女たちもまた、丸池様の魅力を捉えようと、いろいろ工夫していた。撮影したその場で写真を見せ合い、たたえあいつつ、さらなるベストアングルを追求して切磋琢磨していて、なかなか場所があかない。
もっともこちらは水中竜の一点狙いだったので、人のいないポイントに入り、じっくり狙って得たのが冒頭の一枚。
ふと後ろの気配に振り返ると、タブレット女子が早くどかんかとばかりに待ち構えていた。その熱意、おそるべしである。
いざ丸池様へ。
現場はけっこう分かりにくい、と書いた一ヶ月前から、すでに状況が変わっていた。
鳥海山と日本海にはさまれた小さな町のはずれ、小川に沿って細い道を進むと雑木林を背にした養魚場が見えてくる。ここの駐車場に丸池様の案内板が立っているのを見て、ようやく間違えていないことを確認できたのが前回だったが、今回は国道から丸池様を案内するしっかりした標識ができていて、いとも簡単にアプローチできた。
ただ、新しい標識の文字は、「丸池様」ではなく「丸池」となっていた。有名観光地になっても、やはりここは「丸池様」であってほしいと思った。
養魚場の駐車場。丸池様観光専用の駐車場というわけではないので、営業の邪魔にならないよう配慮くださいとのこと。
養魚場というか、正確には鮭の孵化場とのこと。
孵化場の裏にまで出てしまった。牛渡川という小川の水が清い。
それにしても丸池様はどこ?? 初めて訪れたときは、牛渡川の合流部のこれかと思って、間違って写真をたくさん撮ってしまった。
一度駐車場にもどったものの、どうも丸池様とは違うなあと思い出直す。すると牛渡川にかかる小さな橋に、「丸池様→」の小さな案内を見つけた。
橋を渡った先の雑木林に囲まれて、心の準備をする間もなく丸池様が現れる。ちょっと想像していた立地と違って拍子抜け。
直径20メートルに対して水深5メートルというから、かなりの急深。
水草が生える岸のすぐ先が、どん深になっているのだろうか。水が緑がかって底がどうなっているのかよく分からない。
片目の魚が棲む?
この丸池様に住む魚は、平安時代の後三年の役で戦った鎌倉権五郎景正へのリスペクトから、すべて片目であるという。
伝説と片目の魚という組み合わせの類型は、兵庫県の二例を思い出した。その名も昆陽池(こやいけ)と駅ヶ池(うまがやいけ)。同じく兵庫県に、その名も「潰目池(つぶれめいけ)」という池はあるが、片目魚の伝説と直接関係はなさそうである。
同一人物が400kmも離れた場所で?
矢で目を射抜かれた鎌倉権五郎景正さんは、三日三晩、矢を放った敵を追い詰めたあげく討ち取った。そしてやっと目を洗った場所が丸池様だったということである。
しかしちょっと待った。まったく同じ名の鎌倉権五郎景正さんが、はるか400kmもへだてた場所で、右目を射抜かれた上、池で目を洗う伝説が残っている。
千葉県野田市、その名も「目吹(めふき)」(※現在は「芽吹」)という地名由来をもつ場所に、ズバリ「権五郎目洗いの池」が現存している。
そちらでは、矢を打った相手を瞬殺したばかりか、池で洗った目は治癒したという点で丸池様の伝説よりドラマチックである。しかも目に刺さった矢を抜いてあげようとカブトに足をかけた親切な味方を、「武士の頭に足をかけるとは何ごとか」と斬りかかろうとし、武士の誇り高さを伝えるオチまでついていた。
それにしてもなぜ丸池「様」?
最後に残る疑問は、どうして丸池様という奇妙な名前になったのだろう。
一帯の雑木林は鳥海山の神域(社叢)として畏怖されていたため、一度も伐採されることなく今に残っている原始林だという。丸池様は池底に沈む倒木は腐らず、龍を思わせる姿で横たわり、深い池の底からはこんこんと霊水が湧き出ている。丸池神社の御神体そのものとして、いつからか「丸池様」という名が定着したのだろう。
片目の魚を見ることはできなかったが、いうまでもなく釣りや捕獲は禁じられているので、確認されぬまま現代に語り継がれているということか。