水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

蟹池(富山県小矢部)

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蟹池の入口。ここから徒歩500m。

バケモノ蟹の伝説が残る池

2017年に無人となった八伏集落。
「八伏」という地名は、大人8人が横になったのと同じぐらい大きな蟹の化け物の死骸が上がったことにちなむというから、何とも不気味なリアリティを醸している。
というのも、陸揚げされた巨大魚なんかの横に、どういうわけか横になってみたくなるのは世界各国の男たちに共通する、あらがえぬ習性だからだ。
この大蟹は現在、「蟹池」と呼ばれるあたりにあった溜め池に棲んでいたというから、池は下側に広がっていたであろう八伏の田を潤していたのだろう。
なんでも人に謎かけをして答えられぬと取って食った。
「4本あーし、8本あーし、おっきな足が2本。
お目めは空をにらんで、横っぱしり。さて、なーんだ?」


まるでギリシア神話「オイディプス王の悲劇」におけるスフィンクスの謎かけ・・あの、朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足、なーんだ・・の名作謎かけを下敷きにしたような知的な妖怪ではないか。
しかしスフィンクスのなぞなぞに比べて、ちょっと易しすぎではないか。というか、ぜんぜんヒネりが効いていない。
けっきょく謎を破られて死ぬことになるのだが、そこまでギリシア神話の模倣をしなくてもよかったのではないか。
さて妄想が長くなった。池の方に進もう。
その前に、下の絵図で地形のイメージをつかんで、北国新聞の2018年の記事引用を。


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小矢部の歴史街道・池さんぽ ver. 1.3(2021年改訂版)

小矢部市北蟹谷(かんだ)地区の住民でつくる北蟹谷史跡愛護会は16日、市内にある蟹谷の地名の由来と伝わる「蟹池(かにいけ)」の周辺に、標柱と案内看板を設置した。池近くの八伏(はちぶせ)集落出身の会員4人が共同で費用を負担。愛護会は「伝説の池」を訪れやすくしようと多彩な取り組みを続けており、知名度アップと散策者の増加に期待を寄せる。

 蟹池は市南西部の県境に接する標高約200メートルの山中にあり、現在は湿地帯となっている。面積は約3千平方メートル。八伏集落は昭和40年代まで住民がコメを作っていたが、次第に耕作放棄され、昨年12月ごろに最後の住民が引っ越して以降、誰も住んでいない。

 標柱は高さ約1・5メートル、幅20センチで、「蟹谷地名のルーツ 蟹池」などの文言や、費用を負担した4人の氏名を記した。県道脇や林道の入口、分かれ目の計4カ所に案内看板も立てた。愛護会は池一帯にミズバショウを植栽し、順調に生育している。

 蟹谷の名は、ため池から化け物が現れた伝説に由来する。小矢部市史によると、ある時、化け物が周辺の寺に相次いで現れ「四(よつ)足(あし)八足(やつあし)、大足二足(おおあしふたあし)、両眼天をにらんで横走るは何ぞ」と住職に問い、不正解だと餌(え)食(じき)にした。日蓮宗本叡寺(同市八講田)の住職が「カニ」と答えて一撃を加えると化け物は消え、大人8人が伏せたほどの巨大なカニの死がいが五郎丸川に横たわっていた。その後、ため池は「蟹池」と呼ばれ、一帯は八伏と呼ばれるようになったとされる。

 近年は歩道や池の周囲にササなどが生い茂り、愛護会は2016年5月の結成当時から草刈りなどを通じて保全に当たってきた。

 愛護会の水口久太郎会長(78)は「住民でも知らない人が多く、今後も整備を続けて地元の名所にしたい」と話し、八伏集落出身の大谷勇作さん(83)=同市蓮沼=は「山での生活が思い出され、時の流れを感じる。多くの人に蟹池を知ってほしい」と語った。
(北国新聞(2018/11/17))


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池はすでに消失しかけている。手を打たないと原野に戻りつつある。
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マークした場所は、蟹池へのアプローチ路入口の正確な位置。