歴史の、そして映画の舞台となった失われし巨大湖。
野村萬斎主演の映画『のぼうの城』の舞台となった忍城。その外堀跡を中国江南水郷式造園の手法で公園化したのが水城公園である。
水城公園と聞いても今の市街地然とした景観ではピンと来ないかもしれないが、ここは戦国時代には巨大な沼の中にいくつもの島と郭を迷路のように配した、まさに水の城だった。
また、豊臣秀吉の命を受けた石田三成がこの城を攻めたとき、「石田堤」という堤防を新造し、さらに沼を巨大化させて孤立させようという策をとった。水の守りは、水をもって制す。奇策であるが、これはボスの秀吉が岡山県の水城である備中高松城を攻略した際に効果を上げた方法だった。ただし三成はあまりうまくいかなかったようである。このへんの事情は映画『のぼうの城』でも。
昭和初期に消失した巨大ロストレイク「忍沼」のかすかな痕跡として残された「しのぶ池」と、ホテイアオイで埋め尽くされた「あおいの池」が道をはさんで並び、庭園内には錦鯉の池もある。ほか本丸側に掘がわずかに残っている。
忍沼の名は現在はかろうじて住宅街の間を縫う「忍沼川」に見られるのみ。
また、しのぶ池の流出河川は忍川(おしがわ)。
忍城本丸のあった場所に立つ博物館。
本丸跡地には博物館が立っている。
博物館前には池もあり、錦鯉が泳いでいた。館内は撮影禁止場所もあって、忍池の痕跡をじっくり集めたいと思っていただけに残念であったが、得るものも多かった。
ページ末に撮影できた資料を掲載しておく。
- 作者:竜, 和田
- 発売日: 2010/10/06
- メディア: 文庫
- 作者:和田 竜
- 発売日: 2010/10/06
- メディア: 文庫
行田には忍沼とは別に、もうひとつ巨大ロストレイクがあります。
その名も埼玉沼(さきたまぬま)。小針沼という呼び方もあるようですが、江戸時代に名称争いが起こった際に裁定で埼玉沼に決まったとのこと。行田は「埼玉」という県名発祥の地でもありますが、まさか県名と同じ池があったとは。
埼玉沼の痕跡は、古代蓮の里の西側の道路がかつての堤跡だったようです。現在、沼のあったところは浄水場に並んだ池があり、土木遺産の樋跡なども見ることができます。
マークした場所は、水城公園の駐車場。