平安時代は広大な潟湖だった
七ヶ浜は東日本大震災の被害が大きかった。海近くにある深川沼も津波に呑みこまれたことと思うが、今は立派にヨシ群落も育ち、穏やかに水面(みなも)を揺らしていた。
別名、弁天沼とも。深川沼から海側は工業地帯で、ちょうど沼一帯が住宅街との緩衝地帯のようになっている。
池畔にこんもりとした鎮守の森に包まれた弁財天と遺跡群があるが、平安時代ごろは広大な天然の潟湖(せきこ)が広がっていて、この森は湖上に浮かぶ島で、弁天島と呼ばれていた。
江戸時代の運河掘削などの開発で湖は縮小し、弁天島は陸地化。かつての水辺のなごりは、わずか深川沼に残すのみとなった。
一種のロストレイク(消失湖)といえる。
駐車場あり。










マークした場所は駐車場。