みごとな池ができそうな地形だなと思って、その風景が印象に残っていた。いっしょに歩いていた妻は「池窪の大悲観音」という小さな社があったことを覚えていた。
「池窪」という名が気になって調べてみると、なんと大雨の後、四回ほど幻の池が出現したとの土地の古老の話が!
広さは甲子園ほど。実際のくぼ地のスケールに近い。水が張ると深さ3mほどにもなり、江戸時代には水死した人も出たらしく、観音様はその供養のために建てられたものだという。「池久保」という当て字は「窪」を忌み遠ざけた結果か。
近くにある震生湖は関東大震災の土砂崩れによって生まれたものなので、震生湖によって水が堰かれたことが、地下水脈に変化を来し、近年は池窪に水が溜まらなくなったのだろうか。
ただ地形的には、震生湖と池窪は微妙に谷筋がズレていた。
マークした場所は、金井場休憩所。その南東側が池窪。