【おぐらいけ / 大池】

「池」の名をもつ天然湖としては国内2位。消失した巨大湖
畿内を流れる宇治川、木津川、桂川の三川が落ち合って淀川と名を変えて下って行く一帯は、古来から舟運の要衝であると同時に、豊臣秀吉が愛した「三(四)夜の月」の風流な湖であり、万葉にも詠まれた景勝地でもあった。
今、このあたりを地図で見れば、舟運のかわりに南北と東西を走る高速道路が合流し、やはり交通の要になっている。
以前からここを通過するときに「巨椋池」というインターチェンジの看板が気になっていた。関西を高速道路で通過するのは深夜ばかりだったので、高架道の下にどんな池が広がっているのか妄想をふくらませたものだ。
しかし地図を見てもそれらしき池の姿はなく、不自然なほど整然と区画された広大な農地が広がっているだけだった。
昭和時代まで実在した巨椋池
豊臣秀吉が最初の一撃
「池」の名をもつ淡水湖沼としては国内最大級の巨大湖が昭和前期までここにあった。湖周長16キロ。鳥取県の湖山池に次ぐ規模。
干拓は人間の事情により人間の手で行われた。そもそも、巨椋池が消える人的営みの第一矢は、巨椋池をこよなく愛した豊臣秀吉による太閤堤だったというのは皮肉すぎる話である。
日本初の国営干拓事業
また、巨椋池の干拓事業は、国営干拓事業としては日本初だった。
洪水の頻発、池の水質悪化に伴う蚊を媒介とする感染症の問題や食料増産の必要性など汲むべき事情はあるが、これほどの天然湖沼を消失させたというのは、やはり残念。
鴨猟の痕跡が地名に
国内屈指の日本酒の生産地である伏見は、この池の玄関口にあたり、「伏見」の地名自体に池で行われていた鴨猟の痕跡が残されているという話もある。
警戒心の強いカモを物影から伏して見る・・なるほど、それで「ふしみ」か!(イラストは埼玉の鴨場のもの。伏して、見る・・を実感あれ)
巨椋池を高速道のインターチェンジ名にしたのは幸いであった。永久にここに池があったことを名として留めることができる。消えて名さえ忘れられていく池のいかに多いことか。

巨椋池の名残り
巨椋池インターチェンジを降りてあたりを逍遙してみると、改修された川の又に巨椋池の名残りともいうべき大池神社があった。
この神社の碑文によると、昭和28年の台風による洪水で一帯が浸水し、ありし日の巨椋池の光景が蘇ったとの記述が印象的だった。この石碑の上端は、洪水時の水位と同じ高さになっている。




日本の巨大ロストレイク
一例を紹介。日本中のロストレイクを追っかけてきたが、いかんせん消失しているので追跡が難しい。湖周10km超級で現在消失した湖沼としては、山梨県の忍野湖(宇津湖)、秋田県の大野の湖(大野潟)あたり。
一度、ちゃんとまとめようと思う。
マップ
ニッポン湖沼図鑑マップ


Googleマップ
マークした場所は、巨椋池まるごと格納庫。
