水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

平和池(京都府亀岡)

平和池ダム。平和池跡地。

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ダム決壊で100名近い犠牲者を出した平和池。その跡地を見おろす場所にモニュメントが立っていた。

昭和26年(1951)7月11日、未明からの激しい雷雨によって午前9時40分、堤高19.6mのアースダムが決壊し、下流域の40戸の集落はあっという間に山津波に呑み込まれた。100名近い犠牲者を出す惨事となった平和池水害である。
ダムはその後、再建されることはなく、高台の斜面に造成されたニュータウンがすぐ間近まで迫る。
ニュータウンのいちばん奥、林道の起点の四辻が少し広くなっており、平和池跡地のモニュメントが立っていた。谷を見おろす場所で、池や堤の気配はなく、ただ小さな沢が流れているだけだった。

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国内のダム決壊甚大事故の事例。

国内で死者がでたダム決壊事故は、1000人規模の愛知県入鹿池の入鹿切れ、次いで岩手県で300名以上が亡くなった尾去沢(おさりざわ)鉱山鉱滓ダム決壊事件が群を抜く。
この二つに次いで、ここ平和池ダムの決壊と、同じく京都府の大正池ダム決壊が100名規模で並ぶ。
ほか、北海道の幌内ダム決壊では60余名、2011年の東日本大震災の際には福島県の藤沼ダムが決壊し犠牲者を出している。
鉱滓ダムは毒性のある水を出さぬよう現在も堰体が再建され管理がつづき、入鹿池、大正池、幌内ダムは修復されて現役復帰。藤沼ダムは再建がつづいているが、この平和池はついに再建されず、今は跡地のモニュメントが立つだけである。

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マークした場所に平和池跡地のモニュメント。