水辺遍路

実踏・日本の湖沼 8,300湖

女神湖(長野県立科)

めがみこ。赤沼温水溜池、赤沼溜池、赤沼の溜池、赤沼の池、赤沼池。

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溜め池とは思えぬ高原の湿原のような景観をもつ女神湖。

氷河期の高層湿原の様相と、レジャーレイクの名、そして河童伝説をもつ溜め池。

もとは氷河期からの古い高層湿原で赤沼池と呼ばれる池塘や浮き島を浮かべていた。この池には河太郎という河童が棲んでいて、ときおり、街道沿いの大きな石にかわいらしい子どもの姿で腰かけて、通る人を見ては「鍵引き」という指相撲に誘い、怪力で池に引き込む悪さをしていたという。悪戯といっても死人も出ているので、今なら社会問題にもなりかねない重大犯罪である。
河童がすわっていたという鍵引石は、女神湖から県道40号を少し北に行ったところにある。じつは5~6世紀ごろの雨境峠祭祀遺跡群のひとつ。
河童伝説には、これを退治した剛力無双の諏訪頼遠(すわよりとう)という侍の名が出てくることから、河太郎の生息年代はこの大岩で祭祀が行われた800年以上、後世のことと考えられる。

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池畔の一角に今もたたずむ鍵引石。

鍵引きをめぐる駆け引きで侍に敗れ、この池を去ることを約束した河太郎は、およそ10km離れた現在の長和町あたりに一夜にして池を造って棲んだという。これが夜の池(夜の間の池)のおこりとされ、今も山あいに立派な池がたたずんでいる。
一方、主だった河太郎がいなくなった赤沼池は水が涸れ、消失の危機に陥る。
消えた赤沼池が復活したのは昭和の高度経済成長期。県営御牧原農業水利改良事業の一環として、赤沼池に堰体を築き、周長1.5kmの赤沼溜池(赤沼温水溜池)が1966年に完成する。
女神湖の水は、なんと56kmにも及ぶ水路を経て山麓の御牧原台地の400余の中小の溜め池へと分水され、広大な御用牧場だった台地を農地へと変えたのである。

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二つの浮き島は高層湿原のなごり。

ランニングはご遠慮ください、釣りも禁止という、レジャーレイクとしてはちょっと風変わりな側面も。

いかにもレジャーレイク然とした名の女神湖は、実際に観光施設が立ちならぶ。浮き島を浮かべた太古の高層湿原の残り香と、河太郎の伝説が醸すミステリアスなスパイスもあいまって、その景観は独特である。
貯水池の計画段階では「赤沼貯水池」だったが、完成してそれほどたたず「女神湖」の愛称が使われていることから、開発段階から観光事業と一体的に進められていたとも考えられる。
標高1,500mを越える白樺高原に立地する女神湖は、シナノユキマスが長野県で最初に試験放流された場所でもある。ブラックバス撲滅釣り大会などを経て、現在は釣り禁止
湖周遊歩道は散策に気持ちのいい水辺の小径だが、2013年には「マラソン、サイクリングはご遠慮ください」という案内板も見られた。ついに地方のレジャーレイクでもランニングを禁じられる時代になったのかと感慨深いものがあったが、東京の皇居周辺で社会問題化したランナーのマナーを考えると、これも時代の流れか。
湖ではレンタルボートでのボート遊びができるほか、湖畔にレストランあり。

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釣り禁止看板と、ランニングご遠慮くださいの看板。

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女神湖の案内板。



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女神湖の湖畔から見た蓼科山。

百名山・蓼科山に抱かれた太古の湿原の趣き。

近くには有名な観光道路であるビーナスラインも通るが、女神、ビーナスの名は、この池に水をもたらす蓼科山(たてしなやま)の別名「女ノ神山(めのかみやま)」に由来する。本来なら女神湖は「めがみこ」ではなく「めのかみこ」と読ませるべきだろう。
深田久弥『日本百名山』の蓼科山の項に、この池の直接的な言及はない。同書の後書きの末尾には1964年5月とあるから、溜め池の女神湖が竣工したのはその二年後のことであり、少なくとも深田が蓼科山を訪れた際には、ただ湿原の中に赤沼池があるだけの状態だっただろう。現在ではこの地は白樺高原という立派な名が付せられているが、当時は「赤沼平」と呼ばれていたらしいことが「百名山」の文章から伺いしれる。

蓼科高原という名は山の南の諏訪側に付せられているが、高原という感じはむしろ北の北佐久側の方にふさわしい。こちらは実に広大な裾を引いていて、その中に、協和牧場、蓼科牧場、赤沼平、御泉水などの、高原らしい風景が随所に拡がっている。
(深田久弥『日本百名山』)

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洪水吐、堰体、遊歩道。
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夢の平展望駐車場から見おろした女神湖。



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堰体下と、堰体横の駐車場。


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湖畔の女神像と蓼科山。



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日本百名山 (新潮文庫)

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鳥瞰図で楽しむ日本百名山

鳥瞰図で楽しむ日本百名山


マークした場所はボートのりばのある駐車場。