鏡石町鏡田かげ沼町・・ロストレイク鏡沼(かげ沼・影沼)の現在の所在地は、たたみこむように沼の名を連呼しているかのようだ。
鎌倉幕府の御家人・和田胤長の妻が沼に身を投げた悲劇が池伝説として残されており、地元で顕彰されたことで池の跡地が文化財として残された。
また、「かげ沼」の別名はここの地形が蜃気楼のような現象を起こすためで、松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも言及がある。
江戸時代の絵図「鏡沼古跡之図」には、もともとは池の領域だったと思われる広い盆地のまん中に小さな林と池が描かれ、「古沼跡」とあるので、かなり早くに池は消失しかけていたものと思われる。
池跡には駐車場、案内板、トイレのある小公園になっており、公園内には小さな池も設けられている。
先述の和田胤長は、伊豆半島の伊豆山の大蛇退治伝説にも主人公として名をとどめている。大蛇伝説といえば舞台としては池が出てくるはずだが、じつはこの大蛇の侵略を被っていた集落が「池」という名。この地名は現在も残っているが、調べてみると、じつは伊東にも巨大ロストレイクがあったのだった。
マークした場所は駐車場。