港酒場で聞いた話をたどっていけば、半島の先に幻の池が
対馬の玄関口である厳原の港町。
なぜか無性に気になったちょっとあやしげな酒場。店の中は小ホールぐらい広いのに他に客はいない。焼き物など甲斐甲斐しく世話をしてくれる店主との会話は、やがて対馬の池めぐりのことへ。すると驚いたことに店主は自分の父親も田をやっていたので池の管理をしていたという。しかも、その地名は「池田浜」なんだとか!
宿に戻ってから調べてみると、離島の対馬でも、もっとも端っこの方の「廻」という集落が池田の入口のようだった。「廻」という地名からもその僻遠さが伺いしれるが、田は集落からさらに離れた半島の先っぽ。まさに端っこの端っこ。
翌日、現地に赴いてみると、ありがたいことに教育委員会の設置した「豊玉町指定史跡 池田浜の築堤」という案内板があった。それによると池田浜の名の由来は、三方を山、開口部を海に囲まれたこの地に大雨が降ると池になったからではないかということだった。
そんな土地なので、中世ごろには水田が営まれていたという。江戸時代には、名工・増田定七の指導で石積みによる築堤と開閉式の水門設置がなされ、高波と海水の浸入を防ぐと同時に、低湿地の排水コントロールができるようになり、水田の生産性が高まった。
店主はその末裔だったってこと?
なんという偶然。