運河開削前は蒲沼という広大な沼地
蒲生干潟の中にある池で、発達したヨシ群落から見ると、潮の干満に関係なく池として常態化したものと見られる。これは東日本大震災の航空写真でも現在と同じような池形状をしており、養魚用の人工池も隣接していた。
一方、江戸時代の運河建設以前、この一帯は蒲沼(がまぬま)と呼ばれる湿地帯だったという。この池に名は特に付けられていないようだが、蒲沼の姿を偲ぶ池かもしれない。
といっても東日本大震災の爪痕は深く、訪れたときも防潮堤や盛り土の工事が続いていたし、池の中には大型コンテナがひしゃげた姿でオブジェのように残っている。



近くに、日本一の低山が
この池から干潟内の仮設遊歩道を10分ほど歩いて行くと、日本一の低山である日和山の登山口に至る。標高は海抜3mで、登山口から階段五段で山頂という小ささ。これが山なら何をもって山と定義するのかと疑問に思うが、三角点が設けられ国土地理院に認定されている、正当なる山なのである。
しかしじつは二等三角点が置かれたもっと低い山が大阪に見つかって(現在のユニバーサールスタジオの対岸にある天保山)、日本で二番目に低い山に降格(?)になったような記憶があったが、東日本大震災の津波で山体がさらわれて低くなり、2014年の国土地理院の調査で、日本一低い山に返り咲いたようだ。





マークした場所は駐車場。