【この(こぬま)】
小沼は山に取りかこまれた、ひっそりと静かな沼で、水面は明るい。あまりに明るく、あまりに静かなので、却って底気味の悪い気のしたことを覚えている。以前はこの沼のまわりは大木が繁っていて、昼さえ薄暗かったそうである。美女が大蛇に変じて沼の底に棲んでいるという伝説があった。
(深田久弥『日本百名山』)
赤城山 小沼の概要
小沼は赤城山の山池のひとつ。同山における最後期の噴火で生まれた火口湖で、兄弟池と思われがちの大沼とは成因が異なる。
湖面標高1,470m(現地案内板では1,450m)ほどで流入河川はなく水源は湧水と天水の小さな流れ込みのみ。池尻には水門が設けられ農業用に利水されている。
「この」と読むのが伝統的な呼称だが、現地の案内板でも「Konuma」という現代的な読みが見られた。地名を併記するなら「赤城山小沼」と記すのが正しい。
県道沿いの小高い湖畔に駐車場、トイレあり。
小沼の成因と形態
大沼は火口原湖、小沼は火口湖
赤城山の山池として大沼(おの)小沼(この)は兄弟池のように見えるが、じつは成因が異なり兄弟ではなく遠い親戚のような間柄。それぞれの池のなりたちを見ると、火口湖とカルデラ湖、火口原湖についての違いがよく分かる。
ただ、火山由来の「堰き止め湖」とされる芦ノ湖(神奈川県箱根)も、立地的な観点から見れば「火口原湖」となるので、やはりややこしいことには変わらない。
爆発的噴火の痕跡「小沼タフリング」
「タフリング」とは爆裂火口の外周部のリム状の地形のこと。隕石のクレーターを思わせる外観。
小沼を空から見ると、きれいなタフリング地形を感じることができるが、水蒸気爆発の苛烈さを物語っている。
最大水深は9m。二つの湖盆
最大水深は9mと火口湖としては浅い。
形状はシンプルな円形であるが、河野忠「赤城山小沼の湖沼学的研究」によれば湖底には二つの湖盆で形成され、単一の火口ではなく二つの火口があったことを示している。
湖沼型は貧栄養湖だが透明度は高くはない
晴れていればエメラルドを思わせる美しい水の色だが、透明度は高くない。貧栄養湖なので、河野忠氏によれば流入する土砂の影響ではないかとのこと。
天然湖をダム化
水門・取水設備
池の南岸に水門と水路を設けて天然湖をダム化し、農業用水として利用している。
コンクリート護岸と洪水吐
堤に該当する岸と放水路
堤状の岸になっているこのあたりは堤高でいうと2mほどしかない池尻となっている。
小沼もこのアングルで見ると、まるで溜め池のようなディティール。
カルデラ外輪山の開析(粕川と沼尾川)
赤城山の東西2km南北4kmのカルデラが開析によって下界と通じた突破ポイントは、小沼の流下路である南側の粕川と、大沼の開析口である沼尾川の二ヶ所。なお赤城大沼用水は導水トンネルで外輪山を突貫している。
ビーチと流れ込み
流入河川はなく地図上では小沼が粕川のターミナル水源。
白砂のビーチは、小さな流れ込みからの土砂流入および堆積によるものと思われる。
過去には半年も結氷
河野忠「赤城山小沼の湖沼学的研究」によれば、1983年冬には11月下旬から翌年4月中旬までの六ヶ月ものあいだ結氷し、北アルプスの高山湖に次ぐ長さだという。
また同稿のなかで湖水の電気伝導度が異常なほど低く原因不明と指摘していた点も興味深い。
「16歳女子は近づいてはならぬ」の池伝説
大蛇転生タイプの伝説
昔、赤城山麓の豪族である赤堀道玄の美しい娘が十六歳のときにこの沼に転落し、大蛇の姿に転じて沼のヌシになったという言い伝えから、以後、村では十六歳の娘は近寄らせないようにしたという。
伝説の中に「かいぼり」が
伝説の中で姫の遺体を小沼から引き上げるべく、堤を掘って水を粕川に流し抜こうとしたという話が出てくる。
水位を下げたときに大蛇が出てきた。粕川は以後、豊かな水の流れが途絶えず麓を潤したという恩恵がオチとなっている。粕川は今も小沼の流出河川。
小沼のレジャー
カヤック、SUP
昔は貸ボートもあったようだが、現在は持ち込みのSUPやカヤックが見られた。
湖岸の一部はビーチ状になっているので、池ごはんにも最適。
釣りと魚種
氷上ワカサギ釣りは大沼でも。鯉も生息。
貧栄養湖でかつては結氷期間も長かったので魚の生息には厳しい環境。目視確認できたのはオタマジャクシのみ。
設備
池畔の水神
展望所
小沼の遊歩道から見た大沼。(2015年)
駐車場
小沼駐車場
トイレ付きの大駐車場。
北西の駐車スペース
池へのアプローチ入口がある。
案内板
空から見た小沼(空撮)
小沼と大沼ツーショット
小沼と血の池ツーショット
マップ
池さんぽマップ
2023年4月ver2.0に更新。画角とアングルはおおよそコレで決まりか。
現地案内マップ
Googleマップ
マークした場所は小沼駐車場の公衆トイレ。