水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

永福寺跡の池(神奈川県鎌倉)

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永福寺は初代鎌倉殿・源頼朝が奥州平泉を滅ぼした際の戦没者を慰霊するため、平泉の寺院を模して鎌倉の地に建立。
平泉の寺社池は毛越寺(もうつうじ)の大泉が池や、舞鶴が池、梵字が池などに見られるように、汀がなだらかに水面と連続する大きな池の背後に、なだらかな丘を配する共通性が見られる。
寺院の多い鎌倉には寺社池も多いが、切り通しが縦横に走るような地形の中に造営されるため、どうしても切り立った山や崖を背負うかっこうになる。それだけに、よくぞ平泉のフラットな寺社池を体現する地形を鎌倉に見つけたものだと、まず、その立地に感心した。
下の梵字が池と地形や池の造作を見比べてみてほしい。

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800年後の2019年、かつては刀を交えた鎌倉と平泉であるが、仲直りのあかしとして中尊寺ハスを平泉町から鎌倉市に寄贈。
寺跡に復元された池の橋のたもとに中尊寺ハスが植えられた甕が置かれていた。
このハスは奥州藤原氏最後の棟梁として殺害された泰衡の首が納められた首桶に同梱されていたハスの種を、800年ぶりに発芽・開花させたものの子孫とのこと。

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中尊寺ハスの桶と、鎌倉殿の13人ののぼり
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オリジナルの池の島。土に埋め戻されて保存されている。復元された池よりも広かったようだ


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神津島から調布飛行場に向かう機内で左側窓から見えた