永福寺は初代鎌倉殿・源頼朝が奥州平泉を滅ぼした際の戦没者を慰霊するため、平泉の寺院を模して鎌倉の地に建立。
平泉の寺社池は毛越寺(もうつうじ)の大泉が池や、舞鶴が池、梵字が池などに見られるように、汀がなだらかに水面と連続する大きな池の背後に、なだらかな丘を配する共通性が見られる。
寺院の多い鎌倉には寺社池も多いが、切り通しが縦横に走るような地形の中に造営されるため、どうしても切り立った山や崖を背負うかっこうになる。それだけに、よくぞ平泉のフラットな寺社池を体現する地形を鎌倉に見つけたものだと、まず、その立地に感心した。
下の梵字が池と地形や池の造作を見比べてみてほしい。
800年後の2019年、かつては刀を交えた鎌倉と平泉であるが、仲直りのあかしとして中尊寺ハスを平泉町から鎌倉市に寄贈。
寺跡に復元された池の橋のたもとに中尊寺ハスが植えられた甕が置かれていた。
このハスは奥州藤原氏最後の棟梁として殺害された泰衡の首が納められた首桶に同梱されていたハスの種を、800年ぶりに発芽・開花させたものの子孫とのこと。