水辺遍路

訪れた全国1万1,100の池やダムを独自の視点で紹介

裏山池(新潟県妙高)

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地元の人でさえ寄せ付けない到達困難ダム

今から十年前、2011年にダムマイスターのmayuno氏が地元への聞き込みと資料渉猟をし現地探索したものの、姿を拝めなかったという伝説の到達困難ダム(到達困難池)である。>mayuno氏の記事(ダム便覧)
この素晴らしい調査報告によれば、2010年ごろには、すでに池は利用もされず管理も遠のき、放置池状態になっているようだ。
管理道も草に埋もれ、遭難されると面倒くさいから行ってほしくないなあという地元の人の言葉が状況を物語っている。

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十年たって、Googleマップに

それから十年。あいかわらず、裏山池の姿はずっと秘匿されてきたままだ。ずっと見たいと思い焦がれてきたが、数度にわたるアタックも、土砂崩落地帯ゆえの度重なる通行止めによって、門前払いを食らいつづけてきた。
そうこうしているうちに、Googleマップにその位置が名とともにマークアップされた。地図に出てしまえば、もはや秘湖とはいえない。
Googleは世界のすみずみまで白日にさらすつもりのようだ。そう遠くないうちにストリートビューが裏山池を蹂躙し、指先で画面をなぞるだけで裏山池の姿を臨場感たっぷりに拝める日が来そうだ。

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裏山池は関田山脈の新潟県側。ヨシ八池の2kmほど南西。関田山脈の山池めぐりマップ(部分・ver.1.31)2021年9月更新


 

度重なるの通行止めで、アタックは毎回失敗

裏山池は新潟と長野の県境をなす関田山脈の新潟側山中にひっそりたたずむハイダムスペックの溜め池。江戸時代に始まった水田耕作を拡充するため、パイプラインの裏山用水が受益地域まで引かれたのは昭和時代。しかし平成になって早くも貯水池としての役割を終える。
人の手による管理が不可欠な溜め池である以上、昔は管理道があったことは間違いない。しかし周辺の林道にしても、ただでさえ雪深く冬期通行止めが解除される期間が短かいのに、蛇抜け(土砂崩れ)が多発し、道路崩落による通行止めも日常茶飯。
じつにこの池の探索のために、すでに四度の通行止めに会い、小型オートバイを投入しての強行をもってしても会えず、五度目の今回も主要な峠越え県道である412号の崩落通行止めをくらった。

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2020年のミニバイクでのアタック時の崩落現場。この先、浦山池に近づくルートは冬期閉鎖が解除されず、けっきょく迫ることができなかった。


 

しかし意外にもこれが幸い

今回は迂回路が案内表示されていて、平時ならちょっとクルマで入るのが躊躇われる狭隘な山岳路へと導かれ、いつの間にか迷っているうちに裏山池にかなり接近。
それでも途中、橋が川に落ちていて急坂をバックで戻ったり、崖スレスレを数センチずつ進めたあとに、また進めず戻ったり。
三時間ほど山の中に閉じ込められた。出会った人といえば軽トラ一台だけ。携帯の電波も入らないので、いざというときJAFも呼べないし、四輪駆動車でなければどうにもならなかった。
それでも、Googleマップでは裏山池はすでに位置特定されていたおかげで、つねに裏山池との位置関係をサブナビゲーションで確認しながら空撮の突破口を探すことができた。
下の写真は池の下流側にある受益地帯の寸分道集落。いくつかまだ棚田が運営されているが、水はもうひとつの花立用水だけでまかなえているということか。裏山池の沢筋と棚田は位置がズレているため、パイプラインによる送水が必要だったと思われる。

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bunbun.hatenablog.com


 

裏山池の現在の姿

減災処理を行わず、十年以上にわたって放置されたハイダムスペックのアースダムは、やはりすごい姿になっていた。堰体には草レベルではなく木が茂りはじめている。
それでもさすが昭和のアースダムだけあって、しっかりと満水位近くを保っている。それでもあと十年もすれば堰体の木も大きく育って、深い森の中に沈んでいくのだろう。

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Googleマップ