水辺遍路

実踏・日本の湖沼 9,000湖

生池(長崎県壱岐)

【なまいけ。生池城】

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河童が人を生きたまま引き込んだというのが名の由来の生池。得も言われぬ空気が漂う。

城の名にもなった怖ろしい伝説の池。

なまいけ。無気味なその名をもつ池の存在を知ったのは、壱岐島に渡ってからだった。
この池のある一帯は九州でも屈指の古墳密集地帯。かつては朝鮮との交易で栄えた王国だった。
ここに島の豪族の城館が建てられたのは中世。山に二重の空堀をめぐらせた。
四方を丘陵に囲まれた猫額の平地の一角に、木々に囲まれて生池はあった。今は外側が六角形、内側は円形の石造り井戸が水をたたえているだけで、池の姿はない。それでも木々の根に囲まれたエアーポケットのような土のくぼみは、異様な地の木を放っている。
石造りの祠が鎮護するように控えるこのくぼみは、四方の丘から水が流れこんだような痕跡が残っているような気もする。自然に土砂で埋まってしまったのか、それとも何かを封じ込めるために意図的に埋めたのかは分からない。
江戸時代の絵図では30平方メートルほどの池だったことが記されている。30平方メートルといえば18畳ほどの大きさ。大きめのマイホームのリビングルームぐらいの大きさといったところか。
伝説では城の生活用水を汲みにきた人を生きたまま引きずりこんだ河童がいたという。人間を生け捕りにする池。「生池」の名の由来とされる。
それにしても、城の名前まで生池城というのは不思議な気もする。牛ヶ城という名もあるので後世になって生池城と呼ぶようになったのかもしれない。
生池は丘陵斜面に造られた百合畑古墳の下手にある。百合畑古墳には駐車場もあり、生池までは歩いて五分ほど。生池から先の坂を上っていくと生池城趾の空堀があり案内板が立っている。城郭の痕跡はそのぐらいで眺望はない。
生池も生池城も姿がないゆえに想像もふくらむ。壱岐島を渡る風音が通りすぎてゆく。


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国道からの分岐。案内標識が目印。この下に百合畑古墳群の駐車場がある。



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百合畑古墳群。
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四方を丘陵に囲まれた平地の一角に生池はある。左の写真の木々の根元あたり。その上の丘は生池城。逆側のアングルから撮った右の写真では生池城は右手のこんもりした丘。



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生池の案内板。



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生池から少し歩くと分岐がある。案内標識を見落とさないように。



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空堀と生池城跡。


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壱岐島の地形は独特で、いくつもの丘陵地が平地と綾織りのようになっています。土質はともかく、地形的には溜め池を造るには好都合で、多くの溜め池が見られます。水路も短かくて済むので高度な技術がなかった時代から豊かな農地だったのではないかと思います。
そんな壱岐の魅力的な地形と池ですが、鳥瞰図に落とし込もうとすると、なかなかうまくいきません。フェリーの中で書いた鉛筆スケッチは真っ黒になってしまいました。まだ試行錯誤中です。


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