だいぶつこ。永平寺ダム。
呼び方としては永平寺ダムの方が一般的かもしれない。ダム下流側1kmのところには芭蕉ゆかりの地でもある大本山永平寺、ダムの後背には大佛寺山(だいぶつじさん)を背負う。大仏寺は永平寺の古名。
山名から採ったにせよ、寺の古名からにせよ、「大仏湖」では正直、違和感が拭えない。古都奈良に大仏池(正式名は二ッ池)があるが、これは奈良大仏のすぐ裏手という立地。しかるに大仏湖といえばどうしても大仏はどこにと思ってしまうし、山名にしても寺の古名にしても「大仏寺」なのだから、「大仏寺湖」の方がしっくりくるようにも思う。
永平寺は最盛期には年間100万人を越える参拝客を誇ったが、近年は50万人前後。参道駐車場はすべて有料で、かなり強引な感じで手招きする呼び込みのおばちゃん、おじちゃんたちが次々と現れる。ダムの方へと上がっていく道は参道につき車両通行禁止となっていたため、一回目の訪問時はダムまでたどり着けなかった。
ダムへのアプローチには、ダムの流れ出し河川とは異なる、一本南側の沢伝いの道に入る必要があると分かったのは、数年たってからだった。永平寺入口の信号から国道を南に250mほど進んだところに枝道の入口があるのだが、分かりにくいので注意深く進む必要がある。
この道を進む途中で対向車が一台。離合困難なほど狭い道でもないのだが、なぜか停車した高齢ドライバーにすごい敵意で睨まれた。
ダムサイトまで進むと管理事務所横に駐車場があった。対岸側に草刈りらしき軽トラックが一台停まっているだけで、一望できる程度のダム湖は釣り禁止のせいか誰もいない。
インレット側にある大佛寺山登山口。
ダム湖の後背に構える大佛寺山であるが、ダムサイトからぐるっと湖周に沿って奥側にまわっていくと、インレット側に舗装された駐車スペースと登山口がある。
ダム湖は堰体天端以外は周回道路でクルマで走ることができるのだが、ちょうどインレット側の登山口を確認しておこうと思ってクルマで進んだときに、折り悪く対岸側にいた軽トラのおじいさんが引き返して来るところに鉢合わせた。
ちょうどすれ違いできない場所で、おじいさんは何度も切り返しをしながら延々とバックしてくれた。
やっとすれ違いできたところで挨拶するも、目も合わしてくれない。敵意というほどではないが、やはり腹がたっているのだろう。
ダムの奥まで進んでしまうと道幅が少し広くなった。なんのことはない。30秒も走るタイミングがずれていれば、問題なくすれ違いできたはずだ。
インレット側からは、なおダム湖全体が手に取るように一望できた。55mという堰体高に対して、ほんとうにこじんまりしたダム湖だ。
大佛寺山の尾根近くにある血脈池。
大仏寺山頂から尾根伝いのハイキング路を1kmほど東に行くと林の中に血脈池(けちみゃくいけ)があると聞いて、もう長らく興味を抱いている。「血脈度霊(けちみゃくどれい)」という道元禅師の逸話に数えられる伝説で、概略を話すと、永平寺の開祖の妾が本妻に殺され、この池に投げ込まれる。以後、通りかかる者に幽霊となって現れ気味悪がられたが、道元禅師に血脈(けちみゃく)を与えられ成仏するという話である。
池に行くためには大仏山を登るしかないと思っていたが、登山道はご覧の通り荒れている。熊も出るというし、この日は登山口の位置、状態を確認できたことを収穫とし退くこととした。
なお、ここで出てくる「血脈」とは極楽往生へのフリーパスポートのスタンプ版のようなもので、古典落語の題材にもなっている。
帰路、離合困難な部分は問題なかった。ダム湖にはこの小一時間、誰も来ていないのは、一望できる狭いダムだけに把握できていた。
ところがダムサイトまで来たとき、駐車場にパトカーが停まっていた。巡査がダム湖の柵に身を乗りだして湖岸のすみずみまで視線を送っている。
なるほど釣り人と思われ、通報が入ったようである。すれ違ったクルマの敵意ある目の意味が分かった。登山客でも多ければそんなこともないのかもしれないが、登山道のあの状態では、ここを訪れるのはダムマニアか不法投棄、不法釣り人ぐらいなのだろう。
血脈池には行ってみたいが、このダムを経ずにアプローチできる方法を探してみようと思った。
その後、永平寺トンネルを抜けた南側200mほどのところにある枝道から、基幹林道「大仏線」なる道があり、10kmぐらい東に進むと剣ヶ峰山頂を経て、大仏山の尾根ルートと交差するらしきことが分かった。この交差ポイントから血脈池は歩いてすぐのようなので、次はこのルートをチャレンジしてみたい。