江戸時代の大地震後に変化した地形への対処策
たらい舟の遊覧で知られる小木湊は、江戸時代には佐渡金山の出荷港として栄えた。海岸前の番所では船の積荷検査や徴税が行わていたが、大地震の地面隆起で海岸が40mも遠のいてしまったため、四年後に番所までの運河が掘られた。
三味線の形に似ていたのがその名の由来で、東京にも同名の堀(水路)がある。
その後、小木の三味線堀は金山閉山後には埋め立てられ花街になった。佐渡おけさにも小木芸妓は謳われている。
小木の女子は釘抜き性だ股ではさんで金をとる
小木の妓どもに碇か網か出船とめますおそろしや
よく観察しながら歩けば、昔の海岸線の名残りや花街の建物の痕跡を見つけられるかも。
城山公園と殿玉池
小木みなと公園の駐車場にクルマを停め、三味堀のあった小木の集落の方へと歩く途中にある。
小木の町なみと酒場
町なみにどことなく味わいがあるのは花街の名残りか。佐渡島には両津や相川の町にも似た薫りがある。
居酒屋で出されていた地酒は「天の夕鶴」。じつはたびたび島の人から普段酒としていちばん美味いと聞いていた名だった。取材時は2022年で、2023年に「金鶴」に名称変更したとのこと。
小佐渡南部の地酒
一般的には佐渡島の酒といえば北雪酒造というイメージが強いんじゃないかと。でも意外に主要な町から離れたところにあって驚いた。もっとも昔は佐渡島でもっとも古い港町。
マップ
現地案内マップ
Googleマップ
マークした場所は小木みなと公園の駐車場とトイレ。