この池に棲むという片目の魚は、ただの片目にあらず
住宅地の路地の奥にある池であるが、駅ホームのすぐ裏手という特殊な立地が気になって立ち寄ってみた池。御手洗池公園として池畔の一角が小公園として整備されており、あずまやと水飲み場、駐車場3台ほどがある。
新潟は昭和時代に日本最大のライギョが釣り上げられた地だけに、新しい池に会うときはいつも高揚する。青森のリリーパッドの池でのフッキングの悪さの反省から、フロッグルアーを新調。新潟の池でぜひとも試し打ちしたかったが、リリーパッドの池ではあるものの、いまひとつ気分が乗らず釣りはしなかった。そういう先入観がダメなのかもしれないけど。
しかし後で調べてみてビックリ。そもそも駅横という立地が変な池だとは思ったが、もともとはもっと大きくて深い池で、駅を造る際に埋め立てたのだとか。
わずかながらも池を残したのには、やはりそれなりの池伝説が。もともと寺社池的な扱いで金の眼を象嵌した仏像が祀られていたそうだが、この目を盗もうとした不埒者が、現場でどうしても片目しか取れず、ほんじゃまあ仏像ごとお持ち帰りして家でゆっくり目をくりぬこうと画策。まるでATMごと盗む大胆不敵な現代の盗賊の先駆者みたいな感じだが、この池の横を通ったときに仏像もろとも引きずり込まれ・・以来、片目鮒が棲むという。
片目の魚は全国的な池伝説
片目の魚が棲む池伝説は、それほど多いわけではないが兵庫県の昆陽池(こやいけ)をはじめ全国的に見られる。当ブログでもいくつか紹介してきたが、ここ御手洗池の片目鮒は他の片目魚とはひと味違う。驚くなかれ、完全に片目の魚というわけではなく、両目はあるけど片目がうつろなんだとか。片目がうつろって、半グレのヤンキーみたな・・。逆にいえばリアリティあるかも。見てみたい。片目がうつろなライギョ、いたら怖い。
もっとも片目魚の池伝説がある池では機会あるごとに釣査してきたが、いまだ一度も片目魚に会ったことがない。
池伝説とは関係ないけど、片目の魚は一度だけ会食の席で会った。磐梯熱海のホテル宴会場で、40センチぐらいのまるまる一尾の鯉の生け造り料理を供された際に、なんとなく鯉の反対側の顔をひっくり返してみたら、目がなくて、膜とかじゃなくて完全な皮膚になっていた。あれはビビった。残さず食べたけど。
以下、上越市オフィシャルサイトより。
潟町の西念寺は、昔は九戸浜村にありました。この寺のあった所は、現在海中と思われますが、この近辺のことをお寺屋と、今でも呼んでいます。
そのころの御手洗池は、九戸浜と潟町にまたがっていました。けれども、九戸浜の方が広かったためでしょうか、九戸の諏訪神社のお手洗い池といわれていました。これが「御手洗池」という名前の起こりなのです。
ところで、潟町に宿場ができたので、西念寺が九戸浜から潟町へ移ることになり、この時この御手洗池を管理するためにもらってきたといわれています。
けれども、西念寺はこれを管理するのに大変困り、それを潟町のオモダチに任せるようになりました。そのころの池は、九戸の諏訪神社近くまで広がっていました。そして、そこに木造りの御神体が安置されており、その御神体には金の目玉がはめこんでありました。
ある晩のことです。1人の若者がこの御神体の金の目玉を盗みに、こっそりとお宮の中に入りました。そして、用意していたのみで、コツコツと目玉をえぐり出し、やっとの思いで1つだけ取り出しました。けれども、もう1つの目玉はなかなか取れませんでした。そのうち、夜が明けかかったので、御神体を背負って逃げ出しました。
若者が逃げる途中、御手洗池のそばを通りかかりました。するとどうでしょう。御手洗池の水がみるみる増えてきて、若者に押し寄せてきました。若者は必死になって逃げようとしましたが、御神体を背負っているので、思うように足が進みません。とうとう、御神体を背負ったまま、池の水に巻き込まれて沈んでしまいました。
その時までは御手洗池の鮒も他の池の鮒と同じように、普通の鮒でしたが、この若者が御神体を背負い、池の中に沈んでからは、片目鮒となってしまったのです。
片目鮒というと、目が片方にしかないように聞こえますが、目はちゃんと両方にあるのです。けれども片目はうつろで見えないのです。これは御神体が片目のまま沈んでしまわれたので、鮒も片目になったのだろうというのです。
御手洗池は明治の世になり、神明宮の財産になりましたが、明治30(1897)年に潟町駅を作るために埋め立てられ、3分の1くらいの大きさになってしまいました。けれどもとても深く、溺れても網にかかったことはなく、長い間「すじんこがいる」とも言われてきました。
(潟町 西念寺の口碑による)(出典:昭和63年5月30日発行 大潟町史)
マークした場所が駐車場。