水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

菅原溜池(石川県宝達志水)

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写真下、右手のワンドにボートが見える

昔はボートで行き来した溜め池

地図で見るとまるでタツノオトシゴみたい。
ツノの生えた頭、手を前に出してヒョロヒョロと長い胴体でシッポを持ち上げている。足もある。
いや、これはタツノオトシゴではなく、池伝説登場率ナンバーワンの竜にも見えてきた。
とにかく細くて長い溜め池である。
インレット側のワンドのひとつに打ち棄てられたようにボートが浮いている。長い溜め池のいちばん奥のところを今でこそ高規格な道路(広域農道・能登サンセットライン)が通っているが、この道ができる前は溜め池の奥にはボートで行くしかなかった。そこに暮らす人もいて山ン中の田もあった。集落への行き来はボートに揺られて10分もかかったとか。
そんな話をおしえてくれたのは、この池の水を使ってコメ作りを営んでいる木村さん。既存のスタイルだけでなく新しいお米作りにも取り組んでいる若手のホープだ。

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菅原溜池の歴史

江戸中期、享保13年(1728年)に「すがはら大つつみ」として竣工。享保といえば米の増産と水田の拡大が全国的に広がった時期。
加賀藩の役人で水利治水の専門家・中橋久左衛門氏がお上の負担で四つの溜め池を造ることを申請。さらに工事の陣頭指揮まで。現代ふうに言えば、農水省直轄ため池整備事業?


 

便利になった一方で

震災前はボートや徒歩で行くしかなかった菅原溜池も震災を教訓に改修工事が行われ、そのときの工事用道路を管理道として残したおかげでクルマでも行けるようになった。
さらに池の最奥部にも高規格道路が通じ、池へのアクセスが格段に便利になった一方で、池で暮らす人はいなくなってしまった。ワンド奥に放置されたボートがわずかな痕跡。
新しい洪水吐には水門も設けられている。これは最近流行の流域治水の一環だろうか。本来は利水機能しかない溜め池を積極的に洪水対策にも使おうというのが新しい流れになっている。

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広域農道と菅原溜池の最奥部


 

掻い掘りの驚くべき知恵

池の管理に携わる木村さんの話では、9月以降は菅原溜池の水を抜く。
その際に鯉を放しておくそうだが、この鯉たちが水が抜けるにつれて浅くなった池底で跳ねたり身をくねらせたりしてヘドロを攪拌。こうすることで水といっしょにヘドロも流せるのだという。
驚くべき知恵。
さらに木村さん曰く、
「昭和の初めごろまでは、溜め池の水を流す時期に菅原の山で切った木材を下の道まで用水路を使って運んでいたそうです」
うーん、何たる知恵。池の徹底活用。

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菅原溜池の水で育てたお米

木村さんに菅原溜池の好きなところを訊ねてみると、意外な答えが返ってきた。なんと、夏場でも冷たい水を取水できることだとか。
長野や北海道では稲作のために水温を上げるために温水ため池もあるぐらいだし、稲はもともとぬるい水が好きなものとばかり思っていたから意表をつかれた。
考えてみれば、温水ため池は冷たすぎる雪どけ水の温度を上げるためのもの。暑い夏場の話といっしょにしてはいけない。
そういえば佐渡島の池をめぐっていたとき、冷たい沢水で作った米は収量は少ないが、すごく味がいいという話を聞いたことがある。
「夏場の暑い時期に冷たい溜池の水を利用できる環境は非常にありがたいです」と木村さん。
なるほど、美味しい米作りには夏場の冷たい水が欠かせない。どんどん水が入ってくるような大きな流入河川のない菅原溜池は、雨後、山と森と土の中を通ってきて、たっぷり養分を含んだ水が時間をかけて溜まるということらしい。
最後に「菅原溜池のお酒ってあるんですか?」と訊いてみると、現在は食米の生産が中心ながら、チャンスがあれば酒米などにもチャレンジしたいということだったので、いつか菅原溜池の地酒が呑める日が来るかもしれない。また楽しみなことがひとつ増えた。


midorinonami-nakanoto.com


 

Googleマップ

菅原溜池はタツノオトシゴみたいでカワイイ形。マークした場所は、杉野屋溜池。