長野市街地への上水道供給のため大正時代に戸隠村(現在は長野市)に造られた人造湖。明確な名称はなく、地図上では「水源地」(「池」ではなく「地」)としか記されておらず、長野市の水道局のホームページでも「戸隠水源」という表記だった。戸隠水源池という呼称は厳密ではないかもしれないが、どうしてもそう呼びたくなる池だった。
池の入口は大正浪漫な門扉によって一般人が近づくことを拒絶し、鉄戸のすきまから深窓の令嬢のような面立ちを、整然と刈り込まれた植栽に隠している。
堰堤は350mに及び、明瞭な流入流出河川は見あたらず。とんがり帽子の取水塔からくみ出された水は導水管で浄水場へと送られる。
飯綱山と瑪瑙山から集水した澄んだ湖面は、ちらりと見えるだけなので、よけいに恋しい。
一般開放日などが設定されるとうれしいのだが、それでは戸隠の美名を貶めることになろうか。