水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

妙高山の大正池(新潟県妙高)


百名山・妙高のエリマキ回廊に立地

百名山「越後富士」こと妙高の山池のひとつ。
大正池は主峰を取り巻く巨大なエリマキ状の回廊に穿たれた池沼であり、立地的には1kmほど北にある長助池に類似するものがあるが、形態はかなり異なる。

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白田切川の源流水源池

湖面標高2,110m。エリマキの右肩側の南地獄谷を流れる白田切川の源流域にあり、水源となっている。
池の上流側は湿原状で、池の北側には妙高主峰がそびえる。頂上の岩峰からと思われる落石も湖中に見られる。また、この主峰斜面と池が接する部分には舌状の草地があり、雪渓痕とも思われる。融雪が水源の多くを占めるのではないかと思った。
ただ、訪れた9月には周辺にはほとんど雪渓は残っていなかった。


右側に大正池が見える


 

この名を持つ池は・・

まず気になったのが池名。
大正池という名は里池(里の溜め池)として全国的にしばしば見る名で、たいがいは大正時代に造られたという意味。山池(天然湖)としての大正池は私の知る限りでは上高地の大正池があるだけ。この池も大正時代の噴火による土砂堰き止めで生まれた。

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かつてはアクセス路も。さらに驚きの事実

「大正池」の名を持つ池は、人工、天然によらず大正時代に生まれたものばかり。
しかしここ妙高の大正池はアクセス路さえない。調べてみると昔はアクセス路となる登山路が長助池の方から出ていたようだ。それをたどって藪コギの末、大正池に到達する猛者もいた。そしてレポートの中の一枚の写真に釘付けになった。
大正池の少し上流側の湿原の中にある大岩に刻まれていたという文字。この筆者の記述によれば、こうだ。

大原用水組合 源泉種池 大正池

www5e.biglobe.ne.jp


 

大正池は溜め池として利用されていた?

「源泉種池」とは?

上述の石碑に記されていたという「源泉種池」の意味がよく分からなかったので、写真を拡大して確認してみようとしたものの、小さくて確証は得られなかったが、以下のように読めた。文字の大きさは原版を再現している。

大原用水組合
源泉種、池「大正池」

「大原用水」とは?

源泉の種類が「池」というふうにとれるが、大原用水とは温泉組合ではなさそうだ。
そもそも大原用水は江戸時代初期に新田開発のために開発されたかんがい用水路。新潟県オフィシャルサイトには以下のような説明があった。(太字は水辺遍路施す)

また、妙高市関山の大田切川の上流には、約260ヘクタールの原通地域の台地を潤す大戸頭首工と大原用水路があります。この用水は、旧新井市の中嶋源左衛門が江戸時代の初期に北田屋新田、中原新田の開発請負人として開発した用水路です。赤倉温泉の源泉地付近に水源がある大田切川の上流を堰止めて作られ、上中村・東四ッ屋・東福田・米島・岡・橋本・西田屋・上大塚・中原など、大原用水の恩恵を受けて各新田が生まれました。

主峰右側にのびる回廊状の谷が白田切川の流れる南地獄谷

大正池と直接の関係なし

上記抜粋の大原用水は大田切川を堰いて取水したとある。大田切川は妙高のエリマキの左肩が源流。右肩に位置する大正池は、白田切川という別の川の水源であって、両者は関川に吸収されるまで一度も交わることはない。
とすれば、大原用水組合はなぜ別水系の大正池に記念碑を造るまでに肉薄したのか。その足跡は石碑に刻まれた範囲では平成時代まで続いている。
私の見立てでは、大田切川から取水する大原用水を補強すべく、この池から導水トンネルを・・いやいや、それはいくらなんでも妄想がすぎる。トンネルを引くほどの貯水力があるようにも見えないし、取水設備の痕跡も空撮写真では確認できない。
やはりもう一度、妙高に行こう。現地の資料で大正時代にまで遡る必要がありそうだ・・というところで調査継続。


妙高の山池さんぽver1.1(2022)


 

妙高山の登山

燕温泉登山口から山頂まで登ったが、肉眼では直接的には大正池は確認できなかった。どこかにビューポイントはありそうだけど。



 

Googleマップ

地図の真ん中あたりが大正池。