百名山の焼岳とともに上高地の表玄関を飾る池
安房峠を面前に断崖にはさまれた谷底を這うように走る国道が、ここで大きく屈曲し梓川を渡る。この先、待っているのは有料の長い安房トンネルか、九十九折りで峠越えする旧道。反対に下れば斜面崩落が痛々しいむきだしの岩屏風とトンネルの連続。
どこか陰鬱なこのヘアピンカーブには、マイカー規制の頑丈なゲートと門兵のような警備員が立っていて、余計に重苦しい。
ゲートを通れるのはバスかタクシー。ゲートの先の二つのトンネルを抜けると、あっけなく上高地のまばゆい景観が面前に現れ拍子抜けした。
十三年ぶりの上高地だった。
二つ目の上高地トンネルが開通したのは、2016年の山の日。つい最近のことである。
マイカー規制区間とはいえ、大型バスが離合できずに渋滞が頻発する難所というだけでなく、降雨時は土石流災害の危険にさらされる区間だっただけに、トンネル開通は地元の悲願でもあった。
意外にも新しい。大正時代に生まれた天然湖
深田久弥氏の『日本百名山』のひとつとしてとりあげられている焼岳(やけだけ・2,455m)は活火山である。時折、白い噴気を上げ、現在も噴火警戒レベル1が継続されている。
大正4年(1915年)6月、焼岳の大規模噴火によって山体斜面が崩壊し、泥流が裾を流れていた梓川を塞いだ。これによって生まれた堰き止め湖が大正池で、その名のとおり大正生まれである。
当初は湖面のそこかしこから立ち木が林立し、本邦きっての幻想的な光景が広がっていた。それも深田久弥氏が訪れた半世紀ほど前にはすでに名物の立ち木も朽ちて少なくなり、池自体も狭小化して、だいぶ見劣りがしてきたという記述もある。深田氏と大正池の最初の出会いは噴火数年後という生まれたてのころだっただけに、なおその思いが強かったのだろう。
昭和37年の噴火で再び泥流が梓川を塞いだというから、一度、大正池は新装開店となったのかもしれない。私が訪れた13年前は、かたちのよい立ち木が幾本か景観にアクセントを添えていたように思うが記憶違いだろうか。少なくとも今回は、わずかに残った幹が丸く頭を出しているだけだった。
取水口
天然湖ながら発電も担う。
大正池のけあらし
魚影
焼岳と大正池
山池さんぽマップ
案内板
Googleマップ