水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

パンケ沼(北海道幌延)

f:id:cippillo:20171013225619j:plain

f:id:cippillo:20190828162814j:plain

台風から逃げるも、追い詰められて最果て。

2017年の北海道の旅では道北は予定に入っていなかった。それが北も北、夜通し走ってこんな極北までやって来たのは、ひとえに台風から逃げていたからである。
なるべく台風の予想進路を避け、逃げのびるうちに最果ての地まで追い詰められたかっこうになった。ただ、ここまで来れば台風の直撃は過去にほとんどないはずだ。稚内直撃など10年に1度あるかないかと思っていたので、午前中ぐらいは池めぐりができるかと期待していた。ただ、台風に刺激された雨雲が西海上から次々とわき起こり、夜明けを迎えてパンケ沼に着いてみると、なんたることか、ぱらぱらと降りだした。
風はほとんどない。本来なら利尻富士をバックに、といいたいところだが、逃げている立場でぜいたくはいえない。
コーヒーをわかしながら雨がやむのを待つこと30分。わずか10分ほどだったが、空が明るくなった。


f:id:cippillo:20171013223605j:plain
パンケ沼全景。奥は日本海。

「パンケ」と「ペンケ」がセットなのは?

パンケ沼に関しては、近くのオロロンラインを過去二回通っているが、アプローチルートがよく分からず、三度目にしてやっと会えた。
航空写真やインターネット情報のおかげで、池畔の50m手前に駐車場、トイレ、木道も整備され、その駐車場までも全線二車線舗装路で容易にアプローチできることが今回は分かっていたものの、そんなことを知らなければ、どうしようもないのがサロベツ原野である。2.5km北にある双子のようなペンケ沼の方はいまだにアプローチ方法がよく分からない。

f:id:cippillo:20171013225617j:plainf:id:cippillo:20171013225616j:plain
舗装駐車場から先は歩いてすぐ。モーターボート禁止ということは手こぎなら大丈夫?

そういえば、まったく場所が違う道東の阿寒湖近くにもパンケトーとペンケトーというセット池があった。「トー」はアイヌ語で「沼」のことだから、ここパンケ沼とペンケ沼もアイヌ的にはパンケトーとペンケトーそのものである。
パンケ山、ペンケ山というセットもある。パンケとペンケはつねにセットで使うものなのか意味を調べたら、なるほど「上の」「下の」という意味であった。
成因は太古の河跡湖ということであるが、それにしてもスケールが大きい。


bunbun.hatenablog.com
bunbun.hatenablog.com
bunbun.hatenablog.com


 

赤い水に棲む、めずらしい魚たち

天然の海跡湖であるパンケ沼の水が赤いのは、沼の水に含まれる酸化した鉄分の色。つまり赤錆を水でかき混ぜたような状態で、鉄分は湖底、湖岸すべてを形成する泥炭層から溶け出してきたものだという。
水上にせり出した展望デッキから湖岸を見ると、泥炭の断層を間近に見ることができる。

f:id:cippillo:20171013225618j:plain

濁ってよく見えない水中には、かつては幻の巨大魚といわれたイトウをはじめ、釧路の春採湖などで見られるヒブナ、さらに宮城県の魚取沼で天然記念物になっているテツギョも生息しているというから驚きである。釣り禁止の看板もなく、入口にあるのはモーターボート乗り入れ禁止の看板ぐらいだった。

f:id:cippillo:20171013225614j:plainf:id:cippillo:20171013225615j:plain
駐車場と展望デッキ


f:id:cippillo:20171013225622j:plain

状況は14年前とまったく同じ。しかし駅は12年前と様変わり。

まもなく雨が強くなったので稚内駅前にある、たいへん便利な道の駅に逃げ込んだ。この先は樺太にでも渡らない限り、どこにも逃げる道はない。
ただ、前日の予報では道央から道東に抜ける予報だったのに、コースがじりじりとこちらに向かってきて、たいへんな暴風雨になってきた。
あきらめて駅内と駅横の店で時間をつぶす。
そういえば12年前に来たときは、道の駅もなかったし、駅前は砂利の空き地が広がっていただけだった。それが、みごとに洗練されたターミナル駅になって、小学生だった娘がなれなれしく触っていた「最北端の線路」の看板などは、美術館の展示物みたいにガラス張りの向こう側になっている。

f:id:cippillo:20171013225620j:plainf:id:cippillo:20171013225623j:plain
12年前と現在。同じ場所である。


しかしガラス張りで洗練された駅舎、それに隣接する道の駅のおかげで、どうにか台風をやり過ごせそうなのも事実だった。オートバイで稚内に来た14年前は、台風の中心が稚内を直撃したため、やむなく予約なしの高いホテルに逃げ込んだ思い出がある。

f:id:cippillo:20171013225621j:plainf:id:cippillo:20171013225624j:plain
14年前のホテルでのテレビ画面(左)と今回。この時点の進路予想では稚内は中心からはずれている。

気候が今ほどおかしくなく、「北海道には梅雨と台風が来ない」という本州人の思い込みをまだ信じることができたころだっただけに、想定外の極北での台風直撃と予想外の出費が痛かった。ただ、台風が去った翌朝の、まだ強いうねりの向こうに見えた利尻富士は、ほんとうに神々しかった。
今回もまた、微妙に稚内からズレてくれそうな予想進路を裏切り、天塩のあたりから向かう先を東から北に転じた台風は、夕方から夜にかけて稚内を蹂躙した。もうクルマを動かすこともできず、じっとしているだけだった。
今、自分がいるすぐ目の前がテレビ中継の画面と同じというのが、なんとも妙な感覚だった。
14年前と違い、台風一過後も北海道は大荒れのままだった。

f:id:cippillo:20171013225625j:plain
稚内を映すテレビ中継。フロントガラスの向こうの灯りは稚内駅


f:id:cippillo:20171013225626j:plain
14年前と同じ。またもや直撃。


マークした場所はパンケ沼の駐車場。

f:id:cippillo:20171013225613j:plainf:id:cippillo:20171013225611j:plainf:id:cippillo:20171013225612j:plain
案内板

f:id:cippillo:20171013223603j:plainf:id:cippillo:20171013223604j:plainf:id:cippillo:20171013223607j:plain