【おどろかのいけ。踊鹿堤】
民俗学と妖怪学の聖地、遠野郷のチョイコワ池。
遠野を最初に訪れたのは、いつだったろう。ついこの前のような気もするし、ずっと昔のことのような気もする。
震災復興の高規格道路が開通し、ザシキワラシやカッパが今なお息づいていそうな遠く離れた野山の隔絶感は、さすがに感じられない。ここでもバイパス沿いに大型店が進出し、日本共通の没個性な横顔も増えている。
当初の目的は、この地の名山である早池峰(はやちね)と、里にあってカッパ釣りができるという河童渕を訪れるためだった。河童渕はカッパ釣り用のレンタルロッドもあり、エサはキュウリ。指南役もいたりしてエンタメ性があり、拙著『日本全国 池さんぽ』でもカッパ伝説のある池のひとつとしてイラストを掲載した。(p137)
「遠野」の意味は「沼のある丘陵」?
早池峰山の方は、「池」が付く山名でありながら地図では池らしきものが見あたらず、現地で地形など池につながるものがないか確認するのが目的だった。
どうも早池峰という山名は、遠野の地名にしばしば現れるアイヌ語に由来する部分もあるらしく、「池」は単なるあて字の可能性も、というのが現在の見立てである。
一方、「遠野」そのものがアイヌ語の「トオ・ヌップ」(沼のある丘陵)に由来するという興味深い説もあるが、猫ヌシ伝説のある猫川の特性によって、農地としてみると、洪水と水不足に悩まされきた。トオ・ヌップの言葉から想起する豊潤な沼が点在する丘陵地のイメージからは遠い。
さて、初回の訪問で見落とした遠野郷らしい曰くありの伝説池を訪ねようと思ったのが、2020年の再訪の目的だった。
踊鹿の池(おどろかのいけ)。
まず、名前がいい。
現代の地図では踊鹿堤(おどろかつつみ)と記載されているが、池畔の一角を占める悟道の里山という施設の案内板には「踊鹿の池」と記されており、当稿ではこちらをとった。
江戸後期の天保年間に築造された溜め池ということだが、池造りは難工事で、生きた人を生贄にする人柱ならぬ「ニワトリ柱」を立てたとの言い伝えもある。
もうひとつ、この池のヌシに毎年、娘を生贄として捧げる風習についての伝承もある。
娘のかわりにニワトリを捧げたら、池ヌシが怒って、というストーリー展開だが、娘やニワトリを捧げた場が、池の真ん中にぽつんと浮かぶ小さな島。
何とも言えない雰囲気の島だ。
踊鹿(おどろか)の名も当て字らしく、古い地図には「驚岡(おどろか)」と記されていたとか。アイヌ語由来の可能性もあるのかな。しかし、遠野まつりでは鹿踊りパレードもあるらしく、単なる当て字なのかなという疑問も。
また、池がある地名は古く「青笹の赤羽根」。伝説との整合が見られる。
ここはまた遠野にいくつかあるキツネの関所のひとつで、村人が化かされる言い伝えも残る。
これらの話は遠野の伝承などをくわしく記事化している下記のブログに教えてもらった。著者が遠野の民宿で語り部をやっているそうなので、いつか行ってみたいと思っている。
dostoev.exblog.jp
dostoev.exblog.jp
池の表情
堤は低く、伝説で語られているような難工事の痕跡は見られない。
堤の天端は未舗装路になっており、クルマのワダチも濃かった。
堤の一角に立入禁止看板が立っている。
Google マップ
マークした場所は悟道の里山の駐車場。