大館のブラックバス釣りにおけるランカースポットとして実績があったということで、どんな面立ちをした池なのか楽しみにしながら訪れたが、池へのアプローチ路入口に釣り禁止についてていねいに説明する看板があった。
釣り禁止の理由は、堤体が痛むことと、捨てられた釣り糸が草刈り機に絡まるから、というものだった。池の維持管理の労苦を考えるとやむを得まい。この池の魅力が少し心ない釣り人を呼び寄せすぎたということだろう。
釣りはともかく池の景観は素晴らしく、また、思わぬ収穫があった。
うつし見る月のかつらのかげきよく結ばぬ水も涼しかりけり
前田堤の池畔には、江戸時代の旅行家で、今でいう社会学フィールドワーカーとでもいうべき菅江真澄さんの歌碑が立っていた。
元来は三河の人(現在の愛知県豊橋生れ)であるが、1783年に30歳で旅に出てから、76歳で秋田にて没するまで東北・北海道を旅して暮らした。一度も故郷には戻らなかった。
30歳で故郷を出てから生涯旅人を貫いた真澄さんであるが、西行から芭蕉、尾崎放哉や種田山頭火とつらなる漂泊の詩人系列とは少しタイプが異なり、東北の各藩に迎えられたりスパイと間違われて追放されたりしつつ、今でいうフィールドワーカーのようなことをして食い扶持としていたようである。
この人の描くバードビュー絵図と初めて出会ったのは、大野の湖(秋田県秋田)という、現在はほぼ跡かたもなくなってしまった巨大湖の絵図だった。もともとは日本史上もっとも多い22名もの死者をだした釣りトラブル事件の現場を取材した際に、そこにかつて大野の湖があったのだと知った。
今はない池だけに写真に収めることもできないし、真澄さんの絵図をもとに画風を真似して水辺絵図を作った。
以来、菅江真澄さんの絵を見たくて、スケッチや著作をまとめた『菅江真澄遊覧記』を眺めたりしていたので、池のかたわらに「菅江真澄紀行の地」の案内板と歌碑が立っているのを見つけて、あるいは池のスケッチでも? と色めきたったが、真澄さんはただ、湧き水を飲んで歌を詠んだだけだった。
- 作者:菅江 真澄
- 発売日: 2000/04/01
- メディア: 文庫