水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

畭町大池(徳島県阿南)

はりちょうおいけ。柳田国男の記述では「福村の谷の大池」
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阿南で第二のヒョウタン池は、やっぱりミステリアス。

詳細地図上では単に「大池(おいけ)」、地元バスアングラーは「ひょうたん池」と呼んでいるようでもある。識別のため当稿では地名をとって「畭町大池(はりちょうおいけ)」とした。
阿南には、ここ畭町とは別に石門のひょうたん池があるので、下調べの際に少々、混乱した。どちらの池も地図でみると、確かにヒョウタンの形をしている。石門の方は、ころっと丸いヒョウタン、こちらは縦割りした細長いヒョウタンである。どちらが上とも判じがたいみごとなヒョウタンっぷり。
石門のひょうたん池は、石門で閉ざされ崖山に囲まれた桃源郷といった不思議な風情の池で、時をたつのも忘れて竿を振ったものだが、同じ市内にあるこちらのヒョウタン池も負けずとミステリアスだった。

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立地と地形的にここも由来は海跡湖であろうか。海が間近の野池は全国各所にあるが、どれも不可思議な空気や伝説をまとって蠱惑的である。人造湖にはない独特のワイルドさが垣間見えるからだろうか。
アプローチは少々、分かりにくい。海岸近くの社宅が立ち並ぶ路地を進んでいくと、家が途切れた先に細長い池がひらける。弁財天がまつられ、この先の道は行き止まり、との看板。
すぐそこまで宅地なのに、池は両側から森が迫り、すぐに道が水没してしまいそうに水面が近い。心躍る池だ。

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この水面の近さ!


過去の津波の痕跡が池底に残っている可能性があることから、ボーリング調査も行われたことがある。しかし海近とはいえ周囲は小高い丘に囲まれている。津波はこれを乗り越えてきたのか? それとも桑野川から逆流して? 池から直接海は見えないが、海の気配が漂う。

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近くの桑野川河口は巨大魚アカメの釣り場として注目されているが、河口からほど近いこの池にかつてアカメ養殖場があって・・といった噂や、柳田国男が阿波地方に採話した魚すべてが片目の池という話がここに該当するのではないかといった話もあり、やはりミステリアスな存在である。池のかたわらの弁財天に何かヒントがあるだろうか。
参考としてページ末に柳田国男『日本の伝説』から該当部分の引用を掲載しておく。

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池のかたわらの弁財天


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小さな水門設備がある

 阿波では福村の谷の大池の中に、周囲九十尺、水上の高さ十尺ばかりの大岩があって、この池でも鯉鮒を始めとし、小さな雑魚じゃこまでが、残らず一眼であるといっています。その岩の名を今では蛇の枕と呼び、月輪兵部殿つきのわひょうぶどのという武士が、昔この岩の上に遊んでいた大蛇を射て、左の眼を射貫き、一家ことごとくたたりを享うけて死に絶えた。その大蛇のうらみが永く留とどまって、池の魚がいつ迄も片目になったのだといいますが、これもまた二つの話を結び合せたものだろうと思います。(郷土研究一編。徳島県那賀なが郡富岡町福村)
 大蛇といったのは、むろんこの池の主のことで、片目の鯉鮒は、その祭のためのいけにえでありました。それとある勇士が水の神と戦って、初めに勝ち、後に負けたという昔話と、混同して新しい伝説が出来たのかも知れません。しかしこういう池の主には限らず、神々にも眼の一箇しかない方があるということは、非常に古くからいい伝えていた物語であります。どうしてそんなことを考え出したかはわかりませんが、少くともそれがいけにえの眼を抜いて置いたということと、深い関係があることだけはたしかであります。それだから、また目の一方の小さい人、或あるいはすがめの人が、特別に神から愛せられるように思う者があったのであります。大蛇が眼をぬいて人に与えたという話は、弘ひろく国々の昔話になって行われております。
(柳田国男『日本の伝説』)

日本の伝説 (新潮文庫 や 15-2)

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