【よどはらおおつつみ / 代官つつみ】
「ダム便覧」掲載のアースダムが堰く溜め池。別名の「代官つつみ」が示すように江戸時代に代官の命で築造された。
釣り禁止。
邑南町には「池月」という美味い地酒がある。
以下、現地の案内板より抜粋。
このため池は別名「代官つつみ」といって、大宇淀原の後鉄穴(うしろかんな)に位置しています。後鉄穴という地名がしめすように、昔から砂鉄採集の鉄穴(かんな)流しやたたら製鉄が盛んに行われていました。そのため山々は切り崩され、木々が伐採されたので淀原地域は水が少なく、荒れ地が広がっていました。
「淀原の焼き米」と言われるほど、稲が立ち枯れることもしばしばありました。淀原地域の荒れ地を豊かな水田にするため、開発されたのがこの淀原大堤です。
淀原大堤の歴史は古く、一八二〇(文政三)年頃、浜田藩出羽(いずわ)代官がため池をつくったのが始まりですが、数年後水害により流失してしまいました。その後、一九一八(大正七)年出羽村長森田義昭氏が大規模なため池の築造と淀原地域の開を計画し、一九三四(昭和九)年二月に着工しました。当時は大型機械はなく、大人から子どもまで家族総出で「おいこ」や「もっこ」で土を運ぶなど、作業の大部分を人力で行いました。その努力が実って、一九三五(昭和一〇)年四月には満々たる水をたたえた大堤が完成しました。