日本初のロックフィルダムも今や水没ダム
巨大ロックフィルダムの胆沢ダムの完成によって、その貯水池である奥州湖に没した水没ダムが石淵ダム。
奥州湖左岸側には石淵ダムを記念した広場があり、ラジアルゲートなどが野外展示されている。
渇水などで大減水したときは、ここに立てば石淵ダムを見ることができるのだろうか。ロックフィルダムとして「日本初」というタイトルホルダーであるだけでなく、前法面がコンクリートフェイシングされたレアダム(全国に五基とか)でもあるだけに、その姿を一度は拝んでみたいものだ。
「日本初のロックフィルダム」問題
「日本初のロックフィルダム」については、ちょっとおもしろい事情がある。
一般的には昭和31年竣工の野反ダム(群馬県)を日本初のロックフィルダムとするようだが「発電用として」の条件付き。
農水省のオフィシャルサイトでは、昭和27年竣工の小渕ため池(岐阜県)を「日本最初のロックフィルダム」と謳っている。これは農業用。石淵ダムの完成は確かにそのあと。ただし工事着工は石淵ダムの方が先で、どちらを最初とするかは議論が分かれるところかも。
「多目的のロックフィルダムとして日本最初」という条件付きにすれば、すっきり石淵ダムとなるだろう。しかし現役にこだわれば、「現役として日本最古のロックフィルダム」なんてのも出てきそうだ。
しかし、私が把握しているところでは、もう誰も挑むことができないんじゃないかと思うぐらい古いロックフィルダムが群馬にある。
なんと明治時代竣工の、箱島ダム。現地の看板には控えめに「県内初の・・」と記されているが、いやいや、石淵さんよりはるかに先輩で全国区でも初ですよ。
もっとも湖底で隠居している石淵ダムには、そんな話もどこ吹く風かもしれない。









