館山城を防衛するお堀として江戸時代初期に築造された。
もともとは天守のあった御霊山の東部をぐるりととり巻く水堀だったようだが、現在も残っているのは、ここ泉慶院横の池だけである。
堀名は君主里見氏が関ヶ原の戦いの論功で常陸(茨城県)にある鹿島三万石を与えられたことを記念して付けられた。
![f:id:cippillo:20210517084940j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/cippillo/20210517/20210517084940.jpg)
![f:id:cippillo:20200413163236j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/cippillo/20200413/20200413163236.jpg)
![f:id:cippillo:20210517084927j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/cippillo/20210517/20210517084927.jpg)
マークした場所に泉慶院の駐車場。
館山城を防衛するお堀として江戸時代初期に築造された。
もともとは天守のあった御霊山の東部をぐるりととり巻く水堀だったようだが、現在も残っているのは、ここ泉慶院横の池だけである。
堀名は君主里見氏が関ヶ原の戦いの論功で常陸(茨城県)にある鹿島三万石を与えられたことを記念して付けられた。
マークした場所に泉慶院の駐車場。