こやまがさわためいけ。小山沢ダム。
一帯の農業用水確保のためには江戸時代に新庄藩主の命で大堤が造られていたが、昭和に入っての連続旱魃で旧横山村民らが大堤の上に新しいため池の建設を決意。その沿革が気合いの入った記念碑として刻まれていた。
スペック上は「ダム」となり、なぜか「ヶ」が抜けた「小山沢ダム」という呼称もあるが、訪れるのはブラックバスの釣り人か、マイナー好みのダムマニアぐらいで、ことさら取り上げるような特徴もない。
記念碑に書かれていることも、他人が読めば、ああそうなんだ、といったほどのものだろう。しかし碑文に刻まれた文字のひとつひとつをじっくり追っていくと、ダムと呼ぶには地味すぎるし、歴史といっても昭和・・そんな変哲もない池にも、人生を賭して築きあげてきた人たちがいたのだと、あらためて日本の現在の豊かさを支えているものが、こういったところにあるのだと思い知らされた気がした。