昭和までは全国2位の大きさをもつ天然湖沼「八郎潟」
八郎湖のオリジナルである八郎潟は、昭和時代までは琵琶湖に次いで日本第二位の大きさを持つ海跡湖由来の天然湖沼だった。
干拓によって東西二つの承水路と南部の八郎潟調整池をのぞき、そのほとんどが陸地化。現在、調整池および水路を合わせて「八郎湖」という呼称が採用されている。
巨大天然湖が広大な農地へ。ドラマチックな歴史をたどれるミュージアムが八郎潟干拓博物館(入場有料)で、道の駅の中にあるので休憩や食事がてら気軽に立ち寄ることができる。この道の駅はかつては八郎潟の湖内だった場所に立地。
ほとんどが埋め立てられたとはいえ、現在残る八郎潟調整池はそれでも全国で18番目の大きさ。
八郎潟西岸の名残りである西部承水路。ここには、へらぶなの固定釣り台もあった。ほか、バス、ワカサギ、ボラ。
干拓に活躍したポンプ船の模型と資料。
マークした場所は道の駅。