はねこ。
八郎潟干拓のお手本。「水ぜんぶ抜く」干拓のエポックメーカーとなった汽水湖
波根湖は、中世から水運や水軍の拠点として活用された周囲長4kmもの巨大ロストレイク(消失湖)。
成因は海面後退と砂洲形成による海跡湖(潟湖)であるが、海と隔てる屈強な天然の堤となっていた「掛戸」とよばれる岩屏風の存在がユニーク。
波根湖が巨大だった縄文海進期には、最大水深は20mにも達したというが、その後の海面後退と堆砂もあって江戸期には3mほどに。
じつはこの間、鎌倉時代には波根湖の増水による水害に抗じるため、岩山の天然堤を開削する難工事が地元豪族によって行われている。これによって排水効率が改善したため波根湖は小さくなった。開削跡は現在も水路の出口になっており、掛戸松島という大田市指定名勝にも。
勢いの衰えた波根湖は江戸期には新田開発のため少しずつ埋め立てられていく。さらに昭和になると、水門で海とを遮断しポンプで水抜きするという画期的な干拓手法が採用されたが、酸性障害や地盤沈下など未知の干拓障害との新たな戦いも。苦難を乗り越えた経験は、秋田県の八郎潟など、その後の日本の汽水湖干拓のお手本となった。
そんな波根湖も、今は柳瀬地区の砂嘴の地形と波根という駅名に名をとどめるのみ。整然とした農地に作物が風に揺れている。










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