水辺遍路

訪れた池やダム 1万スポット

野々海池(長野県栄)

ののみいけ。
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標高1020mの山上にある孤高の溜め池。

地図で見るとなんとも魅力的だ。
開田山脈の山上に祭り上げられたように、湖周4km、最深部16mもの水面が堂々と横たわっている。
高原に広がるのびやかな天然湖沼を想像していたが、現場に立ってみると意外にも深いブナ林に囲まれた溜め池だった。それにしても、こんな山のてっぺんに溜め池とは、造ることもさることながら管理はさぞかし大変だろう。
意外にも歴史は古く、布見ヶ池(ふみがいけ)という大蛇の棲む池として伝説が残っている。鎌倉時代後期には一度、池は決壊で消失しロストレイクとなっている。溜め池「野々海池」としての復活は昭和の戦後になってからだという。
木々に囲まれあまり眺望のよくない池であるが、湖面が見渡せる場所は堰体側。未舗装林道からアプローチできるが駐車スペースがない。また湖畔に素朴なキャンプ場があるが池は見えない。
養魚池ということで釣りおよびボート禁止。
訪れたときは人っこひとりいなかったが、池を撮影していると、ものの数分で軽トラックに乗った管理人らしきおじさんが見まわりに来た。どこかで監視しているのだろうか。
過去にはボートによる死亡事故も。


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布見ヶ池の大蛇伝説の謎

池伝説は複数あるが、共通点はこの池のヌシである大蛇が麓の池のヌシに殺されるという点。
『湖沼の伝説』(新潮社)の著者である写真家・中野晴生氏が紹介している話を少し長いが引用させてもらおう。

 ある春の夜、池のそばに住む善右衛門の家に美しい女が訪ねてきた。
 夢を見ているような面持ちの善右衛門に、女は自分が布見が池の主の化身であると告げ、善右衛門の家宝の名刀を借りたいという。善右衛門が訳を尋ねると、女は目に涙を浮かべながら、
「私は今宵、訳あって越後国の鴨が池の主と戦わなければなりません。その主は年も若く、今の私の敵ではありません。それを知る主は、彦左衛門の宝刀を借りて決戦に臨んでくるのです。いかに優れた私でも、名刀には勝ち目はありません。もし敗れれば、布見が池は荒らされてしまいます。どうか彦左衛門の宝刀に勝るとも劣らない希代の名刀をお貸しください」と話した。
 善右衛門は美女の頼みを快く聞き届け、名刀を貸し与えた。女は礼を述べ、声を潜めて、明日の夕方までは他言無用に、と言い添えた。
 しかし、善右衛門の妻が深夜になって、美女と夫の関係を問い詰める。ちょうどその頃、布見が池では二匹の蛇が激しい死闘を続けていた。
 善右衛門が事の次第を妻に打ち明けた時、布見が池の主の刀は折れ曲がり、鴨が池の主の振り下ろした剣が、布見が池の主を刺し貫いた。
 見る間に布見が池は真っ赤に染まり、やがて堰を切って池の水が流れ出す。そのなかを、断ち切られた布見が池の主の蛇身がころがっていったため、千曲川の流れが一時変わってしまったという。
(中野晴生『湖沼の伝説』※引用文中、太字は筆者が施した)


この話では越後の鴨が池のヌシに殺されたことになっているが、越後側の異説では「蒲生地区の池」が「鼻毛の池」と共謀して殺害したことになっている。
下のマップに位置関係を図示した。
神殺しの際、保倉川に流れ出た野々海池のヌシの血で川沿いの竹が血に染まり、今でも竹皮に蛇のような模様が見られるというが、保倉川は新潟県側の川であり、確かに野々海池の近くが源流となってはいるものの、野々海池の流れ出しは長野県側の千曲川支流のはず。このへんの矛盾は伝説が伝える暗喩と関係していそうで興味深いが、現地の資料を調べてみる必要がありそうだ。

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水辺遍路謹製(ver1.1)


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