水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

昆陽池(兵庫県伊丹市)

こやいけ。昆陽池公園。


日本列島をかたどった大スケールの島をもつ池。

まず、ふつうは読めない。「こやいけ」と読む。
昆陽池公園として整備・開放されており、この公園は市街地内にある伊丹市の顔ともいえる都市公園である。上の写真など大自然のまっただ中、という感じがするが、公園の周囲はびっしりと住宅に囲まれている。
公園の中心構成要素として二つの趣きの異なる池があるが、二つを総称して昆陽池と呼ぶようである。南側の池は調整池然としたコンクリート護岸。対して北側の池は上の写真のように緑に包まれている。
この池の最大の特徴は、日本列島をかたどった島があること。スケールが大きすぎて、ちょっとばかり見おろすぐらいでは分からない。航空写真で見ると、みごとに日本列島が浮かび上がる。これは伊丹空港を離発着する飛行機の乗客の目を楽しませようと1972の公園化の際に造られた。しかしこのミニ日本列島は水位の上下で形が変わったり、カワウの糞害で緑が消えて荒土と化したり、日本らしい形を保つのもなかなか苦労がたえないようだ。
とはいってもこのミニ日本列島、いざ勇んで池のほとりに立っても、まったくもって日本列島を感じることができないところが笑えるところでもある。

Googleマップの2015年の航空写真。減水状態のため日本列島の形が不鮮明になっている。

池界のスーパースター行基が造った世界初の「多目的ダム」?

池の起源はなんと奈良時代。731年(天平3年)、弘法大師にならぶため池界のスーパースター、行基さんの指導のもと築造されたとされる。
日本最古のダム式ため池」の称号をもつのは大阪府の狭山池であるが、こちら昆陽池はいうなれば「日本初の多目的ダム」
農業用ため池を造る過程で、一帯が洪水多発地域だったこともあり、増水時に河川の流量を調節する機能(治水機能)も担わせようとしたようだ。二本の水路も池と合わせて造られているが、どのような設計、運用になっていたのか興味深い。
ダムに利水と治水の両機能をもたせる総合的な運用が理論化されたのが19世紀後半のドイツだったから、それより千年以上前に行基さんは多目的ダムを造っていたことになる。渡来人系の高度な技術集団の出自とはいえ、どこからそんな大胆な発想を得て、どのように技術的に実現させたのか不思議でならない。あるいは世界初の多目的ダムといえるかもしれない。
築造時は昆陽上池、昆陽下池と合わせて現在の3倍以上の面積があったが、江戸時代に下池が埋め立てられ、残った上池は「昆陽大池」と呼ばれたが昭和時代の開発で縮小し「昆陽池」の名に落ち着いた経緯がある。
関西屈指の野鳥の楽園。昆虫館、ビジターハウス、ビオトープあり。駐車場有料。
公園西側に151台の有料立体駐車場がある。


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片目がつぶれた魚の伝承は、柳田国男にも採話される。

行基がこの地で薬師如来の化身である病人を助ける説話があり、病人に供した半身の魚の残り半分を池に返したところ、泳いで行ったという。魚は鮒だったとされるが、その子孫が代々、片目がつぶれた魚として生き継がれてきたという。この伝承は柳田国男にも採録されている。
類話は近くで他に駅ヶ池と潰目池の二例見られる。

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昆陽池は南北二つの池で構成される。南側の調整池は石垣風のコンクリート護岸で釣り禁止の看板があった。


オニバスの保護エリアが見られた。


マークした場所が駐車場(有料)