水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

蛇沼(茨城県龍ケ崎)

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雑木林のあいまから水面がちらりとのぞくだけ。このあやしい感じは健在。35年前はもっと怖かったけど

35年後の中学生

中学校時代の恩師が連絡請うとのこと、同窓生を介して先生の連絡先をもらった。
たびかさなる悪事を強烈な茨城弁で叱られていたので、35年たった今も先生の茨城弁でどやされるんじゃないかとビビりまくっていて、なかなか電話をかける勇気がでない。ずるずると1週間ほど先延ばしになっていた。
だから今回の蛇沼訪問には強い思惑があった。
先生が昔の悪行を思いだして怒りだしそうになったら、すかさず懐かしの地元ネタを披歴、
「あ、そうそう、先生。じつは今日ですね、たまたま蛇沼なんかに行ってきまして、覚えてます? 蛇沼」・・みたいな感じで、えへらへらと先生の怒りをそらそうという算段であった。


2010年に撮影した蛇沼。このときはすでに公園化されていた。


 

1980年代。

蛇沼は、溜め池の多い四国から転校してきた中学生にとって、いつも地図の中心にいた。国土地理院発行、二万五千分の1の白地図。
何という名。何という形。
池名は、その形が蛇のようだからとも、大量のマムシの巣になっているからとも言われた。それだけでなく実際に蛇沼には大蛇にまつわる伝説が複数、伝えられている。蛇の名はダテではないのだ。奥州征伐の鎌倉権五郎景政の大蛇伝説などビッグネームな話もあるから、思っていた以上に歴史の古い池だったとも考えられる。
江戸時代に溜め池として改造された際には、現在のニュータウン松葉地区なども水没させるほどの大きな池だったそうだ。
通学していた中学校のすぐ裏手にあるのに、同級生では誰もその姿を見た者はいなかった。先輩で一人、行ったことがあるという人がいて、武勇伝に聞き入ったものだ。バス釣りは流行っていたが、みな、牛久沼や小貝川、道仙田に行った。
現在のような蛇沼公園として整備される前は、先行オープンした小さなニュータウンの辺境にあり、中学校のすぐ先のところで景色は別世界のように変わった。道は緞帳を落としたように雑木林で暗い一車線に転じ、通り抜けようとすれば、きまって農家が飼っている番犬たちに追われた。




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蛇沼公園。開園したころは、あの秘奥の蛇沼がお洒落な装いで人目に姿を現し、隔世の感を抱いたものだが、それからさらに数十年がたち、いい感じの廃墟感が味わい深さを加味している。


 

蛇沼アタックとボート転覆

仲間二人と蛇沼にアタックしたのは中学三年だったろうか。それまで何度かアプローチに失敗していたので、このときはかなりの覚悟をもって雑木林を突き進んだ。もちろんスマホもなければGPSもない時代だ。
池のほとりにおっかない地主が住んでいて、入り込んだのを見つかると殺されるという噂も、蛇沼の神秘性を高めていた。胸ほどもあるヤブを払いながら励まし合って進んだ。
木のあいだから水面のきらめきが見えたときの感激は時がたっても忘れられない。こぶし大ほどもある巨大たにしを見つけ、沼の神秘に触れた気がしたものだ。
半分水没していたボートの水を汲み出して出航したが、沼の真ん中で沈没。船底のヒビをふさいでいたボロを抜いてしまったのだった。泳いで岸をめざそうとしたら、意外に浅くて足がついた。まったくもって、あほな中学生だった。
この事件は先生にはバレていないつもりだったが、先生がもし知っていたら蛇沼をネタとして持ち出すのは逆効果としかいいようがない。

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池畔にある蛇のオブジェ


1999年。蛇沼の転機

その後、高校時代にニュータウンを離れ千葉に引越ししたこともあり、蛇沼については同窓生を通してたまに近況を聞く程度だった。
やがて蛇沼公園という水辺公園として開発、整備された後はバサーなど釣り人が立ち入ることも増え、ようやく人々に開かれた池になった感もあった。
ただその立地は背後に山を控える集水構造ではなかったので、八岐大蛇のように丘陵を這う幾筋ものワンドにしても豊富な水をもたらす沢を伴っていない。沼を潤していたのは豊富な湧水だった。
周辺の開発が進むにつれて湧水量が減少し、沼が干上がってしまう事態も発生するに至り、市は1999年に水路を造り、補助的に蛇沼に水を送れるようにしたという話だが、詳細はまだ未確認。
北竜台公園に「蛇沼水路」なるものがあったが、これがその水路なのか、補充水源は何なのか、ポンプ送水なのかなど、今後、いくつか確認したいこともある。


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ワンド奥のインレット。周辺が大規模開発された今でも、このワイルドな原生感は健在!! 遊歩道がなかったころは、まさに秘境だ


 

ふたたび。35年後の中学生

公園化直後、レンガアーチの望湖台は、初めて見たときは「これがあの蛇沼か!!」とオシャレ感にビックリしたものだが、今となってはどうだ。廃墟感の小道具。さらに木々が繁茂して、蛇沼もよく見えなくなっている。そう、蛇沼は隠れているぐらいで丁度いい。
ほんとうに久しぶりに蛇沼に会った帰路、クルマを停めた場所まで戻ろうと折りたたみ自転車を走らせていると、登校中の中学生たちとすれ違った。驚いたことに制服もジャージも35年前から変わっていないようだった。ただ、彼らの若さがあまりにまぶしくてペダルを漕ぐ足がゆるんだ。
うさんくさそうな目で通りすぎる中学生。それはそうだ。朝からチャリンコでふらふらしているオジサンを見て、それが自分の35年後かもしれないと、ふつう若者は思わない。
その夜、やっと恩師に電話をかけることができた。
数十年ぶりの先生はいたって、にこやかで快活な声だった。七十二歳ということだった。
けっきょく蛇沼ネタの出番はなかった。茨城弁って柔らかみのある言葉だなあと、電話を切ったあとになって気づいた。


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今回、溜め池としての蛇沼の側面を見てみたいと思ったが、これが堰体と思われる。


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池への降り口


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案内板。駐車場あり。
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時計

母校自慢の曲面ガラスの時計塔。
ほんとはもっと近づきたかったんだけれど、ただでさえ警戒されているのに、これ以上学校に近づいたりしたら、マジ通報されそうな周囲の目。
この特殊大型ガラスは1枚200万円だといって脅されていたので、このガラスの前では、走ったり騒いだりできなかった。
しかし、時計塔の時計が外れているではないか!
稀勢の里の母校でもあるし、何とかしてほしい。

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マークした場所は駐車場。

【参考文献】
www.ushikunuma.com