水と戦い水を受け入れてきた聖牛は、元祖グリーンインフラ。
戦国時代以来、甲斐の国が戦いつづけてきた最大の難敵は、他国や人ではなく、この国を貫流する釜無川だったともいえる。
この暴れ川を治めない限り、甲斐国には豊かな実りも心の平安も訪れない。武田信玄公はさぞかし隣国との戦いに忙殺されていたことだろう。それでも今でいう国内の社会事業をしっかりと推し進めていた。
それにしても息の長い事業である。釜無川の堤防、通称「信玄堤」は、いつ終わるとも知れない水との戦いだった。当時の土木技術からすれば無謀にも思える試みを誰が進言したのだろう。
特に洪水の元凶である御勅使川(みだいがわ)と釜無川との合流地点「竜王の高岩(竜王鼻)」をいかに制するか。
支流の流路を石積みではね上げ、導流路で逃がし、将棋頭で導き、高岩にぶつける・・何重もの待ち伏せで攻撃をかわし、ネックとなる合流地点には自然の地形と人工の堤防を組み合わせた最大の防御壁。さらに敵陣に分け入って守護神のように相手の勢いをそぐ「聖牛」が、重戦車のように隊列を組んで待ち受ける。
聖牛は木と石と縄だけで、よく堤を守った。そんな聖牛の一体が公園内に展示されている。見ていると愛おしくなってくる。
工事は江戸時代でも幕藩体制のもとでも引き継がれ、堤防を木々の根張りで強固にするため榎や欅を植樹する工夫と努力がつづけられ、今や立派な大木となって散策者に木陰を落としている。
聖牛は防衛部隊の主力からは退役しているが、コンクリートが安価になって普及する昭和時代まで信玄堤を守ってきた。
地元では「霞堤を活かした防災まちづくり」検討会を設け、グリーンインフラの視点から総合的に400年つづく治水システムの効用を再評価していくという。
最大の防御壁にあえて穴を開けて、やろうとしたことは?
御勅使川と釜無川との合流地点「竜王の高岩(竜王鼻)」は洪水の巣窟ではあるが、裏を返せば平時には多くの水が集まる場所。
洪水対策の防御の要にもかかわらず、その岩にトンネルを掘って取水口にしようと発想した人がいたことに驚きを禁じえない。この際、取水口にうまく水を引き入れるべく聖牛を配置した。信玄堤と聖牛は水と戦うだけでなく受け入れてもいたのだ。
現在では高岩頭首工(取水堰)から水を引き入れているのでトンネルは使われていないというが、公園に渡る小さな橋下の暗渠からは、轟々と水が吐き出され竜王用水を甲府盆地へと下っていく様子を見ることができた。
駐車場、トイレあり。ペット散歩禁止エリアあり。
釜無川は鮎釣りでも有名。
マークした場所は駐車場。