【おたとまりぬま。沼浦湿原】
百名山の利尻富士を映す観光スポット。
アイヌ語の湖沼の名はいつも詩的な響きに惹かれるが、「オタトマリ」はアイヌ語で「砂のある入江」の意。名前を聞いただけで会ってみたくなる。
2千メートル級の独立峰が海上に孤高にそびえる利尻島では、多くの海岸は懸崖になっており、ビーチになっている入り江はオタトマリ沼の目の前の沼浦にしかない。
なぜここ沼浦に、唯一の砂浜と利尻島最大の湖沼であるオタトマリ沼が肩を寄せ合っているのか。オタトマリ沼をよく見ていくとその答えが見えてくる。
オタトマリ沼は、周囲長1kmに対して最大水深が3.5mしかなく、規模に対してはかなり浅い沼である。
周辺には沼と同じような円形の入り江があるが、これらは7000年前以前に起きた火山活動の結果生まれた火口跡。当時は縄文海進によって海面下にあったため、水蒸気爆発が発生し爆裂火口(マール)はいくつもの丸い入り江を形成。その後の海退で4000年前ぐらいには入り江が陸封されて沼浦湿原を含む火口湖を生み、完全に陸封されず海に半分浸かったままのものはビーチになった。
ただオタトマリ沼自体が単体の火口跡というわけではなく、近くにある三日月沼を含んだ沼浦湿原全体でひとつの火口跡になっている。沼浦湿原は郊外にある大きめのアウトレットモールぐらいの大きさ(面積約29ha)で、これが単一の巨大火口湖をかたちづくっていた時代もあったかもしれない。今残っている二つの沼は、火口のへりの部分で湿原化からかろうじて逃れた水辺なのだ。空から見るとその様子がよく分かる。
海岸近くでの爆裂火口湖の類似事例としては、男鹿半島の一ノ目潟、二ノ目型潟がある。
オタトマリ沼のビフォーアフター
利尻島屈指の観光地であるオタトマリ沼は、白くペイントされた展望デッキと大型バスを何台も収容できる大駐車場、著名人の写真が一面に張られた売店食堂を備える。2018年には平成天皇も訪れた。離島とはいえ、完全な観光地である。
特異な形状や成因、地形的魅力があるとはいえ、オタトマリ沼を景観だけで見れば、悲しいぐらいに利尻富士に依存している。利尻富士が隠れてしまえば、ただの沼地としか思わない観光客も多いだろう。
この日、朝がたに礼文島から見たときは雲に包まれていた利尻富士だったが、礼文からフェリーで利尻の港に到着したとき、くっきりと姿を見せてくれた。油断せずに急いで島を半周し、オタトマリ沼に着いたときは、山頂にやや雲がかかりはじめた。休憩を後まわしにして撮影を行い、売店に寄って出て来たときには、もう厚い雲に隠されていた。そのあとは二度と姿を見せてくれなかった。
池畔の遊歩道
一周約1.1km(1.5kmという記述も)、歩いて20分で一周できる遊歩道が整備されている。
空から見たオタトマリ沼
白い恋人の丘
沼浦展望台
1976年以来、石屋製菓の「白い恋人」のパッケージデザインに採用されている利尻富士が描かれたのは、オタトマリ沼近くの海岸にある沼浦展望台。駐車場と「白い恋人」に関する案内板が立っている。
海側の景観も北の最果て感があって旅情に訴えるものがあるが、漁港のある丸い湾も火口跡であろう。「オタトマリ」はアイヌ語で「砂のある入江」。沼の前にある海岸は利尻島では唯一のビーチだ。
沼浦神社
観光駐車場と売店。名物のウニ軍艦食べ比べ。
池畔の売店食堂の名物は、なんとウニ軍艦。バフンウニとムラサキウニの食べ比べができるのはおもしろいが、観光地価格。
釣りは沼での釣りよりも、目の前の海で秋に回遊してくる豪快なサケ釣りが有名。近くの鬼脇漁港からはカヤックフィッシングのパックも。2018年8月には平成天皇も訪れた。
礼文島近くの海上から見た利尻富士
深田久弥『日本百名山』の筆頭に登場するのが利尻岳。その冒頭はこうある。
礼文島から眺めた夕方の利尻岳の美しく烈しい姿を、私は忘れることが出来ない。
(深田久弥『日本百名山』)