国の特別天然記念物と特別名勝の「特別」ダブルタイトル。
穂高と焼岳の二つの百名山が構える山岳大伽藍の、いわば境内のような高原を縫って、梓川がいくつもの池沼をちりばめながら流れ下る。
縄文時代には上高地一帯は水深300〜400mにも及ぶ古上高地湖が広がっていた。現在、われわれが歩きまわっているあたりは広大な湖面だったようだが、左岸側の急峻な山からたえず土砂の流入があり、地震による湖岸決壊も加わって湖は消失した。
その後も上高地はたえず変化している。大正時代には焼岳の噴火に伴う山体崩落によって大正池が生まれた。しかし古上高地湖と同じように、土砂の流入によって年々、底は浅くなっている。田代池などはこの100年ほどで5m近く浅くなっており、そう遠くないうちに埋まってしまうかもしれないし、噴火であらたな湖が生まれるかもしれない。
この上高地を「観光地」として定義付けたのは、ウェストンというイギリス人。長くこの場所は日本人にとって信仰の場所ではあっても、物見遊山の対象ではなかった。
マイカー規制のゲートと、つづく二つのトンネルを抜けると、あっけなく憧れの上高地が面前に現れる。待ち構える焼岳と大正池を横目に抜け、田代池を包む原生林や上高地帝国ホテルを過ぎて行くと、やがてバスターミナルに着く。きれいで立派なターミナルは、まるで国際線ターミナルのように、カラフルな色の高級ウェアをまとった多国籍の人々であふれかえっている。
なるほど百名山の著者・深田久弥がいうように、ここにいる人々は、慣れた手つきでそそくさと身支度をととのえるや、足早に登山道へと消えていく一群と、ターミナルにたたずんで、いつまでもおしゃべりを楽しむサンダルやスニーカーの軽装な一群とに、みごとに分かれる。
深田が百名山を著したのは、昭和37年の焼岳の最後の噴火の前だから、それから半世紀以上がたっても、洒脱なハイカー組と寡黙な登山組の混在という上高地バスターミナルのようすは、それほど変わっていないといえそうだ。
大正池とターミナルのある河童橋、奥の明神池までのエリアは、しっかりした遊歩道が整備されており、小一時間から最長でも三、四時間程度の軽装ハイキングが楽しめる。
ハイキングコースの最奥部には、この山岳伽藍のいわばご本尊とでもいうべき明神岳が控え、その面前に手水(ちょうず)のごとく明神池が付き従う。
ハイカーの多くはここで引き返すが、梓川に沿ってさらに伽藍の内奥へと進むコースもある。先には左岸側の古池沢の上下に二つの古池がある。一方の古池は、明神池から20分程度のハイキング、もう一方の古池は六時間半の本格登山となる。
右岸側の山の尾根にも、西穂高の近くにきぬがさの池、焼岳の山頂火口湖の正賀池もあり、いずれも会うためには山に登る必要がある。西穂高の方は新穂高ロープウェイが通じているので、そちらを使う手もある。
掲載している上高地の湖沼群。
- 大正池(長野県松本)
- 田代池(長野県松本)
- 明神池(長野県松本)
- 正賀池(長野県松本)
- きぬがさの池(長野県松本)
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- 作者:深田 久弥
- メディア: 文庫
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