島の産業構造の変化とともに役割を変えた池
東京都の離島である八丈島では唯一の公園池。
ただの公園池と思って侮るなかれ。この池は島の農業歴史の生き証人。
親水公園を銘打っているだけあって、なかなか本格的な池だなあとは思ったが、溜め池を改造したものにしてはどうも違和感。深く掘り下げられた地形。これは公園池定番の洪水調節池?
しかし何を守るため? 守るものがはっきりしない調節池など存在しない。
島の空港のまわりには掘り込みタイプの調節池がある。でもこの池のまわりには特に大きな施設はない。
なんと、遊水池の土を採掘した穴だった
離島ではめずらしく水に恵まれている八丈島でも、山の形をしたダムとでもいうべき三原山がため込んだ水の恩恵が大きいエリアで、かつては水田も営まれていた。
和泉親水公園は「田園空間博物館」と銘打たれ、「八丈島の農業・農村を支える水の現状と伝承・・離島の水循環」という魅力的な文言とともに、この池の興味深い歴史が刻まれていた。
もともとは水田地帯の遊水地で、農地を氾濫から守っていた場所だったものが、島の農業が花卉中心へと変遷し水田がなくなると、池の土は花卉栽培用の農地を広げるための客土として島北部などに運ばれ、深い穴だけが残った。
そんな歴史の生き証人として、また八丈島民の憩いの場として整備されたのが、このひょうたん形の池であった。
もともとは遊水池だったところを、土を取るために深く掘ったために、おのずと大きな調節池になってしまいました。
こうなると自然の力だけでは、大雨のあとなど水は自然には引いてくれないでしょう。東京23区の公園池では地下水を汲み上げる生命維持装置みたいなポンプ設備が多いのですが、同じ東京でもこの池のポンプは逆に排水用のものではないかと思いました。