八丈島の地形と歴史と池
二つの新旧火山をのせた島
伊豆諸島のひとつで、本州(東京)の300kmほど南の太平洋上にある火山島。古くから流刑の島でもあった。溜め池造りの技術など、これら流人によってもたらされた。
地形としては東に標高700m、西に850mの二つの火山、その間に空港をのせた平地が広がるひょうたん形をしており、年間を通じて降水量が多く地下水は豊富。離島だが水には恵まれている。
新しい火山の島北部は水が土中に染みこみ表層水は使えず、古い火山の島南部は水がたまりやすく水源豊富、というおおまかなイメージを持って行くと、八丈島の池の土台が立体的に見えてくる。
火山島であるが、カルデラ湖や火口湖はない。それでも、いくつかの天然の山池と南東部には甌穴(ポットホール)もある。
島の生活と池
集落ごとに古い水汲み場やメットウ井戸があるが、島の生活はこれらの水源を中心に営まれてきた。
伊豆諸島で唯一、溜め池を使った水田運営が行われていた島でもあったが、過去の話となった。現在は、ほとんどの溜め池は使われていない。
行政的には東京都に属し、クルマのナンバーは品川ナンバー。
水田と溜め池
伊豆諸島では唯一、水田と溜め池が造られた島であるが、2021年現在、すべての商業用水田は放棄されており、溜め池も使われていない。
水田が開墾されたのは江戸時代後半から。石高は1560石。
西の八丈富士は新しい火山で山麓はスコリア土質のため保水性がなく、伏流水の湧出も荒池に見られるように海岸か海中
となり、農耕には向かない土地。放牧地として利用されている。
対照的に東にある旧火山の三原山は浸食が進んだ谷地形が発達し、川や湧水の水量が豊富。山麓には水汲み場や溜め池が造られている。
北麓には高度成長期前には一面の水田が広がっていたが、溜め池はひとつもない。河川の水量が豊富で取水堰だけでまかなえたという話である。
農業用ため池は南麓の中之郷に集中しているが、現在、観賞用植物の栽培が行われているだけで水田はなく、日本酒の生産もなく、島の地酒は焼酎である。
流人によってもたらされた池造りの技術
水は比較的豊富だが戦前までは集落間の水争いもあった。ため池築造の技術は流人によって江戸時代にもたらされ、島南部に五つほどの溜め池がある。
池造りの技術を習得した八丈島島民がのちに南西諸島の南大東島に移住し、池造りの技術を生かしたかんがいに成功する。
中之郷地区の溜め池群
八丈島では最大の溜め池群。特に安川ため池はハイダムスペックのアースダム。
銘六戸ため池は江戸末期、銚子のため池は大正7年(1918年)、安川ため池(新堤)は昭和9年(1934年)、堤ヶ沢ため池(1935年)。
山上の人造湖
八丈島の南側に注ぎだす三原川の源流域にある砂防ダムが生み出した神秘的な池。
この池は10万年前の古い火山である三原山(標高700m)の山頂カルデラの外縁部に位置することが空撮写真で見てとれた。
カルデラ内の土砂流出を防止する目的で据えられたものだろうか。300mほど下流側には三原滝もある。
水汲み場と水道水源
生活用水は古くは各集落にあった共同の水汲み場でまかなわれた。毎朝の水汲みは女性の役割だった。頭に桶を乗せて急斜面を歩くのは重労働だったことだろう。これらの水汲み場は遺構として残っているものもあり、見どころである。
中心街の水道水源は三原山から流れる大川。ダムを設けなくても表層水、井戸だけで賄えてしまう。人口1万人クラスの島で水道用ダムがないというのは驚きだが、三原山そのものが天然のダムになっていると言うほかない。
新田(あらた)という地名では水田も作られたが、それより北は八丈富士(西山)の噴火によって積もった多孔質なスコリア土質のため水田は無理。
山池
火山島だけに、まず期待されるのが火口湖。円形の爆裂火口湖は海岸に見られることもあるが、八丈島では明瞭な火口湖はなかった。
八丈富士の火口壁内にある中央火口丘(溶岩丘)のテーブルトップ上に複数の池が見られるが、古い資料を見ても「池」と記されているだけで名前はなかった。
八丈島の水事情についてくわしい資料館の人に訊いても、名はないのではなないかということだった。
八丈富士の山池
お鉢めぐりと、奈落のような小穴のわきにある浅間神社参拝セットで往復3時間ほど。11月は強風で危険。この時期のお鉢めぐりはストックが3本いる、と箴言的に言われるほど。
三原山の山頂カルデラの山池
一方、三原山の山頂カルデラ内にも大池・小池という池があった。大池は常時湛水しているが、小池の方は大雨の後だけに現れる雨後出現湖。
6千年ぐらい前まであった火口湖のなごりだというが、円形の火口湖の外縁部だけが池として残っている事例は北海道の利尻島でも見られた。
一方、直径1kmのカルデラ湖の名残りという可能性はないのだろうか。
甌穴群
八丈島は離島ではあるが年間降水量が多く、古い火山である三原山一帯は地下水も豊富なことから「水海山」と呼ばれ、島の暮らしを支える水源となってきた。
そんな水量が長い時間をかけて岩盤を削り、三原山の南東山麓にポットホール (甌穴)を生み出した。
公園池
町はずれの山麓には、島唯一の公園池がある。
もともとは水田地帯の遊水池だったが、島の農業が花卉栽培へと転換していくと、畑を増やすために遊水池の土を島北部などに客土した。掘った跡が大きな穴となっており、島の歴史の証人とすべく池を設け親水公園として憩いの場とした。
島の水道事情
取水地は島内の13ヶ所にあり、半分近くを井戸が占める。
取水された水は浄水池、配水池を経て各戸へと供給される。
おまけ
八丈小島
最盛期の江戸時代には500人を越える人が住む有人島であった。
昭和44年に全島民50名が離島。小学校と中学校があったが、島に水源はなく、家の横の木に雨水を貯める甕を各戸においてしのいだ。不足分は八丈島から舟で運んだそうだ。
島の治山事業
池の沢?
島の魚
以下の写真は資料館のパネルと、島民に勧めてもらった島の人も利用するという居酒屋、スーパーの鮮魚コーナーのアカサバ。
八丈島空港の調整池
空港横に掘り込みタイプの調整池あり。
アクセスと交通
羽田空港から空路が一日3往復、小一時間で到着するので、じつは手軽な島である。
船便も毎日出ている。夜に東京を出発し朝に八丈島に着くので経済的で便利。クルマを運べるカーフェリーはないので、島池めぐりではレンタカーかレンタルバイクが便利。自転車もよさそうだが標高700m以上の山が二つあるので、けっこうハード。
八丈島の島池めぐりでは、未舗装路はほとんどないものの、道幅が狭いところが多いので軽自動車かバイクがおすすめ。
島池さんぽマップ
水辺遍路謹製マップ
島の案内板のマップ