水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

土管川・寺ん川(東京都神津島)


島で最初の貯水池「土管川」

伊豆諸島への水配り神話の中心地、神津島。
神々が集まる島として、昔は「神集島」とも書いたそうだ。さすが水配りの島だけあって、天上山が巨大な水がめとなって豊富な地下水を擁する。
とはいっても上水道が整備されるまでは、集落から湧水地までの水くみは生活に欠かせない重労働で、おもに女性が担っていた。
神津島の村史に生活用の「池」が最初に出てくるのは明治43年。水源地から土管をつないで物忌奈命神社の境内に造った池へと導水した。さらに境内を横断して役場下に大きな貯水池兼水くみ場を造ったとも。これを「土管川」といったそうで、特に池の名は記されていなかったから、池を含めてそう呼んだのだろう。

 

土管川の痕跡を探す

1回目

物忌奈命神社横の郷土資料館でそんな資料を読み、さっそく役場を見に行ってみたが、そのような大きな貯水池の痕跡はなくガッカリ。しかし、よく家に帰ったあとで資料をよく読み返してみると、当時の役場は現在の郷土資料館! ガーン・・灯台もと暗し。資料館のまわりは完全にノーマーク。しかも妻がいうには、
「資料館の横に、古い橋があったよ。水がないのに、なんで橋があるのかなって思ったんだけど」
いやはや橋にはまったく気づかなかった。自分で撮影した資料館の写真を見返してみると、オオッ、建物の横に橋が写っていた。残念ながらこの橋は神津沢にかかっていた古橋の欄干を保存したもので、池には直接関係はなかったものの、なんたる失態。

ここに大きな貯水池があったというが・・


2回目

幸いにも五ヶ月後、再訪のチャンスを得た。橋のまわりをじっくり見てみるが、池につながるヒントはなし。
橋はミニチュアで再現されたもので、橋柱のみ当時のままのものだそうである。



物忌奈命神社と境内




 

大正時代に延伸された「寺ん川」

大正時代には神津沢をまたぐ木製の水道橋が設けられ土管が延伸。寺に新たな貯水池が造られ「寺ん川」と呼ばれたと村史にあるが、はて、どの寺か。
地形的に、濤響寺だろうと思うが、寺の下にあるのが現在の役場。となれば、この役場あたりに池が?
次に島に上陸した際の楽しみができた。土管水路と池の痕跡を探してみたい。

神津沢


役場



 

マップ

池さんぽマップ

神津島の島池さんぽ ver.1.0(2022)

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