水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

池の薬師 水牢の跡(群馬県東吾妻)


拷問用の特殊な池「水牢」

江戸時代の藩政時代、沼田真田家の悪政下、あるいはそれ以前の治世下で使用された水牢と言い伝えられる池。
これは年貢の納入最終期限となる年末の極寒のなか、「水牢」と呼ばれる池の中に滞納者を立たせる「水責め」で拷問したとされる。見せしめの側面が強く、家族や親族が滞納分を借りようと奔走するあいだに低体温症で落命する者もいたという。
当時の藩内に他に七ヶ所の水牢があった。
以下は現地の案内板より。

薬師堂の山端の軟石を掘った古池跡が、真田伊賀守による苛政を物語る「水牢」の跡と伝えられている。水牢とは、6間(約10。8m)四方を掘り下げ深さ2尺(約60cm)ほど水をため、周囲に塀をめぐらし木戸を立てた牢屋。当時の沼田藩主の重税は苛烈を極め旧暦12月の年真上納に際して、刑罰として年真未納の農家の妻子を4,5人づつ縄で縛って水牢に投獄し、寒中の水の中に立たせたと伝えられている。投獄された家の者は、見るに堪えず一族から金子(きんす)を集め、またある者は田畑を処分して年を済ませ妻子を救い出したとつたえられる。この水牢は天和五年(1681)8月11日山崩れによって埋没したが、その一部は現在まで歴史の証言者としてその姿を今に伝えています


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