はらえいけ。
畑を耕していた農家が土の中に光るものを見つけた。取り上げて泥を払ってみると金の角印だった。誰がいつどんな事情で捨てたのかは分からない。いずれにしても「漢委奴国王印」と刻まれた金印は長く静かな眠りから呼び覚まされ、再び争いと呻きが跋扈する苦界に舞い戻ったのだった。1784年、志賀島でのできごとである。
周囲11kmの志賀島は海の中道と呼ばれる細長い砂州で九州と陸つづきになっている。小さな島だが、古くは日本書紀、万葉にも詠まれ、元寇のおりには攻防戦の舞台となり、そして偶然による金印の発見と、日本の歴史の中に幾筋もの刻印を残している。
志賀島に足を踏み入れてみると、意外に田畑が多いのに驚く。丘陵地に拓かれた畑をみおろすように原江池はたたずんでいた。島の農地に用水を供給している。池は鬱蒼とした原生林に囲まれて静かだ。
池の中はフェンスで囲まれ立ち入ることはできないが、ほとりには万葉歌碑があった。
志賀の浦に漁(いさり)する海人(あま)
明けくれば浦み漕ぐらしかじの音きこゆ(巻十五・三六六四)
アクセス路は農道のため軽トラック規格。駐車スペース2〜3台。
<周辺観光>
池から東に1kmほどのところに潮見公園がある。西に1kmほどで金印の湯という温泉も。