【とやのがた / 芦沼(あしぬま)】

新潟市の発展とともに歩む湖沼
新潟駅からわずか2kmに立地する天然湖。池名を冠した鳥屋野潟公園が整備され、湖畔にはランドマーク的なスタジアムをはじめ大規模な文化・スポーツ施設がちりばめられ、駐車場も広い。
しかしもとは田舟で進まなければならないような広大な泥湿地で、開墾の努力と排水ポンプの稼働によって、豊かな農地と新潟市街地へと変貌。新潟市の歴史とともにあった湖沼といえる。
湖畔は女池地区(めいけちく)、鐘木地区(しゅもくちく)、県スポーツ公園の3地区にゾーニングされている。

鳥屋野潟の歴史
19の潟湖を従えた広大な湿地
鳥屋野潟の前身は、一面に芦が生い茂る広大な低湿地帯。周辺には19もの潟が取り巻いていたという。
干拓計画の挫折と泥田
近世から徐々に水田化が行われてきたが、江戸時代の干拓計画はうまくいかなかった。結果、泥田での過酷な農作業が行われた。
使われたのは「潟舟(かたぶね)」と呼ばれる小さな舟。
過酷な農業のシンボル「清五郎一本松」
泥田では霧になると方向感覚が失われる危険が大きかった。そんなとき、灯台の役割を果たしたのが「清五郎一本松(せいごろういっぽんまつ)」。鳥屋野潟の過酷な農業と開拓精神のシンボルとして今も残っている。

水害をくり返す泥沼が人工排水で新潟市の土台に
国営事業によって鳥屋野潟の東端に旧栗ノ木排水機場が竣工し、かつて「東洋一の能力」を誇ったポンプによって穀倉地帯に生まれ変わったが、1964年の新潟地震でポンプが水没。新たにパワーアップした親松排水機場が4年後に稼働し現在に至る。

流出口から流入口にチェンジした栗の木川
新潟地震の前は旧栗ノ木排水機場によって日本海に排するルートが栗の木川だったが、地震後は鳥屋野潟の反対側(西側)に新たにバイパス流出口が設けられ、栗の木川は流入河川へと役割をチェンジした。

鳥屋野潟の漁業
昭和30年代は300人もの漁師が
鳥屋野潟はコイ、フナ、ウナギ、ボラ(メナダ)、スジエビ、ヒシ(植物)の一大漁場で板合わせ舟(木舟)を巧みに操っての刺し網漁などが行われていた。高度成長期に水質悪化で漁場は衰退。水質が改善してきた現在、数人の漁師が伝統を守っている。

釣り
釣りは潟の北西岸が有名なライギョスポットだったが、外来魚駆除も積極的に進められており、ブラックバス、ブルーギルともに現況は厳しそうである。一方、へらぶなは魚影は濃いようだが広大なフィールドなのでポイントを絞りづらい。
南西岸に鳥屋野潟公園の無料駐車場があり、ランガンの拠点としても便利である。

施設・設備
鳥屋野潟公園
駐車場、トイレ、遊歩道、日本庭園。


庭園の池

新潟県立自然科学館



鳥屋野潟の野鳥


マップ
現地案内マップ

ニッポン湖沼図鑑マップ

Googleマップ
マークした場所が無料駐車場。