「ヌッパの沢ダム」名義で「ダム便覧」掲載ダムとなっているが、現地の案内板には「ヌッパの池」と「ヌッパの沢貯水池」という表記がみられた。漢字では「抜羽の沢」と書く。
現在の水利目的は灌漑用だが、明治時代の築造当時は数千人の囚人を収監していた監獄の飲料水確保が目的で、囚人たちの労役によって1888年に完成。訪れた際はほとんど貯水されていなかった。
貯水池下には収監中に亡くなった千人近い囚人を合葬した千人塚があり、火葬場も近くにある。
アプローチ路はダート。
「ヌッパの沢ダム」名義で「ダム便覧」掲載ダムとなっているが、現地の案内板には「ヌッパの池」と「ヌッパの沢貯水池」という表記がみられた。漢字では「抜羽の沢」と書く。
現在の水利目的は灌漑用だが、明治時代の築造当時は数千人の囚人を収監していた監獄の飲料水確保が目的で、囚人たちの労役によって1888年に完成。訪れた際はほとんど貯水されていなかった。
貯水池下には収監中に亡くなった千人近い囚人を合葬した千人塚があり、火葬場も近くにある。
アプローチ路はダート。