水辺遍路

訪れた全国1万1,300の池やダムを独自の視点で紹介

銭淵(新潟県南魚沼)

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ここでも歴史の歯車の一枚が

公園名にもなっている銭淵は、もともとは山にあたって屈曲した魚野川が淵となった部分。坂戸城の外堀の役目もしていた。平成8年の河川改修によって公園要素として残された。いわば河跡湖といえよう。
坂戸城主と千手城主が舟遊びの最中に喧嘩して水死した場所とされる。供養のために毎年の命日近くで法要が営まれ賽銭が淵に投げ入れられた。のちに減水すると銭が底できらめくのが見えるようになり、銭淵の名が付いたそうだ。
今でこそ止水だが、この淵をごうごうと渦が立てながら流れていた水を思えば、酒に酔って船上で喧嘩するのはよくなかった。領主が溺死するという事件によって戦争にならなかったのは幸いだったが、残された遺児はやはり父親を亡くしていたもう一人の男の子とともに上杉謙信の養子となる。のちに豊臣秀吉の五大老の一人となった上杉景勝である。もう一人は名宰相として大河ドラマにもなった直江兼続。
つまりこの池があった淵での喧嘩がなければ、上杉景勝と直江兼続が主従として謙信公に学ぶこともなく、ひいては関ヶ原の戦いもなかったかもしれない。なんせ関ヶ原の戦いの引き金を引いたのは、直江書状と呼ばれる上杉家から徳川家康宛に出された手紙だったのだから。
園内の駐車場近くには、直江兼続公伝世館が立つ。
水字型池から下ってくる豊富な水量の流れ込みがあり、魚野川側に吐き出しをもつ。
そういえば公園化する工事の際に、銭は出てこなかったのかな?


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八ツ橋の向こうの土手は、魚野川


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流れ込みの水量は豊富


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直江兼続公伝世館と、園内にあった「天地人」ののぼり


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案内板と駐車場
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マークした場所は駐車場。